「 テスの思い出 」 ( 12 ) 
ー テス ー
 


 テスは、ホントにいい友達だった。よくわたしの面倒を見てくれた。抱きついたりほほ刷りをしただろうけれど、噛みついたりすることもうなったりすることもなかった。

 写真見てもらえば分かるように、家の裏手は、山なんだ。竹やぶがあって、季節になるとたけのこを掘りに出かけた。
だからテスは、時間になると鎖を離してもらって自由に山の中を走りまわっていた。それが飛ぶように早いのだった。

 それこそすごい勢いで走り回る。
僕の方に突進して来る、捕まえようと思うのだけれど、またの下をビュンとすり抜けていってしまう。
ほとんど現役で野生化してる。日々自由に走り回っている犬と言うのはこういうものなのだと思う。

 ある日、テスが脇腹にケガをしていた。噛まれたのか。
あるいは、毛がそこだけ抜けてしまったのか。
おばあちゃんと一緒に、その抜けた所に泥と油を混ぜ合わせたような薬を塗って上げたこともあった。

 テスもなかなかたくましい犬で、他の犬に噛まれたり、遅れを取ることは、そうはなかったようだ。


 ここでちょっと、やはり28才頃、「テスの歌」を作った頃同じアルバム「ふるさとへ」の一曲。自分自身上手く思い出せるかなー。覚えてるかなー?


  ー 「子守唄」 ー

 遠く聞こえてくる あの汽笛は
 山の向こうを 貨物列車が走る

 川 橋 
 十円玉握り締めて 
 駆け下りた坂道


 いつも見つめていた あの灯りは
 山の斜面に ポツリ ポツリと

 夜は ひとり 留守番
 テレビと犬
 隣のおばあちゃん よくお菓子をくれた。


 とうちゃん、かあちゃん
 早く帰って来いよ

 うつぶせて眠ってしまう
 あの子にやさしい 子守唄


 遠く聞こえくる あの汽笛は
 山の向こうを 貨物列車が走る


( 28才頃のアルバム「ふるさとへ」より )


 テスはおやじさんたちが結婚して、この地に住んだときに飼い始めたのだと言う。

 テスは、12年生きた。
そして、昭和43年、我が家の一家が東京に行く直前に亡くなっている。

 テスは自分から死を選んだようなのだ。

 東京に引っ越す前、住むべき家を探したり準備もあり、おやじさんが一足先に東京へ出発した。

 その朝、おやじさんを見送るときにテスがなく。
おやじさんを見送りに行きたいんだろうと言うことで鎖を離してあげた。
おやじさんが坂道を降りていった後を追ってテスも走っていった。

 そのとき、テスは、

 一瞬、僕たちをしげしげと見ていた。

 そのことは、僕にも分かった。テス何だかいつもと違うねー。
 それがテスとの最後の別れだった。

 テスは、帰って来なかった。一週間くらいたった頃。
お宅の犬が誰々さんち方で死んでいるよとの連絡があった。
おばあちゃんとおふくろさんで迎えに行った様だ。

 犬は、人の言葉が分かるのだという。
おばあちゃんとおふくろさんが、

「我が家が、東京に引っ越してしまったあと、テスはどうしようねー。困ったねー。」

見たいな事を話していたようだ。

 「困ったねーー」

 それをテスは聞いてか、聞かずか。
テスは、また、ときどき咳もしていた。
蚊の多い山の中。当時、フィラリアは避けられない。

 きっと、自分の人生はここまでと、悟ったんだろう。
それで、静かにひとり、水を断ち、食事を断って、死を選んだのだろう。


 テスはおやじさんたちと僕を見守り、九州での時を過ごして、我が家が東京へ旅立つときに、去っていった。

 テスって犬は、そういう奴なんだよ。

 テス、ありがとう。


 テスは裏山(庭)のツツジの根元にその亡骸をいけてあげたそうだ。そこからは毎年きれいな花が咲いたのだそうだ。


( 付き合って、読んでくらた方、ありがとうございました。
 テスの思い出 おいまいです。)


「テスの思い出」 その十二 − テス −
( 2006.7.10  by makio-ym )



        

ソーラさんとアスカさんののん気な一日 第二部 「 テスの思い出 」