「 テスの思い出 」  ( 7 ) 
ー テレビ ー
 


 隙間風のあの家のイメージは大きくて、子供の頃の思い出には、必ず、あの家と、坂道と、テスとおばあちゃんが登場する。
とてもリアルな感覚として、時々よみがえることがある。

 東京オリンピックがあったとき、昭和39年。テレビがあった。
いつからテレビがあるのだろう。よくテレビを見ていた。ガチャガチャと、なんだか不安定で取れちゃいそうなチャンネルを回しながら。
「おっかさんと一緒」とか「三匹の子豚」とか。

 最近リバイバルと言うか、ノッポさんがみんなの歌で「グラスホッパー物語」という歌を歌ってちょっと評判になったっけ。水森アドさんが語りですらすらといつもガラスの向こう側で絵を描くのも楽しかった。ノッポさんが登場するのは「できるかな」だったか?「おかあさんと一緒」のワンコーナーだったのかもしれない。

 一緒に思い出すのは、キンダーブック、ワンダーブックという絵本だ。大きなたのしい絵が描いてあり、そこに簡単な文章が書いてある。それを読んでもらうのが好きだった。たのしかった。

 このころ妹は、まだ登場してないのだけれど。
九州のあの部屋で、三歳くらいの妹が、既にこのワンダーブックを穴が空くほど熱心に見ていた姿を思い出す。
「誰かに読んでもらわなくても、ああして、ずっと見ていてたのしいものなのだろうか?」と思ったことがある。よくああしてじっと本を見ていられるものだなー。って。
 なんせ妹は、昭和40年生まれで、九州を昭和43年に後にするのだから、やっと三歳になるかならないかのひとコマの印象だと思う。妹は、ちょっと変わっていた。あるいは普通がそんなものなのかも知れない。わたしゃ本なんか一人で見ることはなかったなー。テレビを見るか、坂道で自転車を転がしていた。


写真 −妹−

 このテレビが、いつ来たのか。よくは覚えていない。すごく印象に残る登場の仕方ではなかった。家にあるならばそれもいいだろうくらいに思ったのだろうか。あるいは、お隣のおじさんの家で見せてもらっていたのかもしれない。家で見ようが、おじさんちで見ようが子供の僕にはさして問題ではなかったのかも知れない。

 そう言えば、テスの写真を見てもらえば、(きっとアップすると思う、UPしました2006.7.16)、工事中のお風呂場の写真がある。きっと、この以前は、おじさんの家でお風呂も入らせてもらっていたのだろうと思う。きっとトコちゃんとテレビも見せてもらっていたんだろう。

 「ひょっこりひょうたん島」「鉄腕アトム」「宇宙エース」「宇宙少年ソラン」「スパージェッター」「エイトマン」「忍者舞台月光」「仮面の忍者赤影」「月光仮面」「魔法使いサリー」

「てなもんやさんどがさ」(まことまこと藤田まこと、あたり前田のクラッカー)「月影兵ご」(どういう字だったかな?)「花山大吉」(近衛十四郎っていうらしい、焼津のはんじとふたり道中、蜘蛛が大嫌い)

「コンバット」(これは、アメリカの番組の吹き替え)「サンダーバード」(迫力の人形劇)「ビックエックス」「ワンダースリー」「狼少年ケン」「忍者少年?」(木の葉隠れの術を使うのだけれど…)「ぴゅんぴゅん丸」、そうそう「悟空の大冒険」(タツコって言うアニメ女の子登場)。「鉄人28号」も忘れている。「黄金バット」。

「家族そろって歌合戦」(自分の方が歌が上手いかも知れないと思いながら見ていた、めがねが落ちる大村こんさんが司会)
「ズバリ買いましょう」(華薩さんがお父さんと一緒に出たそうです。これは、いつもハラハラしながら見ていた。)
「アップダウンクイズ」(間違えると滑り台の角度が上がってゆき軍手はめてるから、頑張って抑えても、頑張りきれない。体力と知識の勝負、落ちるときは、風船の海に落ちてゆくのもたのしい)

 あのころは、テレビがとてもたのしかった。みんなが同じ番組を見ていた。楽しみも他に少なかったし、テレビの番組も今ほど多くなかった。

 ちなみにテレビの普及は、昭和34年、美智子妃の結婚パレードを一目見ようと、爆発的に普及したのだと聞いている。わたしが生まれた年のことである。

 東京オリンピックは昭和39年。名古屋のおばあさんのところへ行くのも、大阪からは、新幹線に乗るようになって、早く行けるようになった。


写真 −名古屋のペケ−

 あの家の畳の部屋で、おやじさんと東京オリンピックをテレビで見ていたシーンを思い出す。マラソンだった。円谷選手が銅メダルとったときだったろうか。気候は少し暑さを感じる季節にさしかかってた。六月の終わりか、七月の初めかな。シャツ一枚で見ていた。妹はまだ登場していない。

 そうそう、このころテレビが、一週間が待ち遠しかった。
早く、「鉄腕アトム」「鉄人28号」に会いたかった。
あれ「おばけのQ太郎」を忘れているではないか!
「コメットさん」「忍者ハットリ君」(劇バージョン)「チャコちゃんハーイ」「名犬ロンドン」「名犬ラッシー」「トムとジェリー」もね。
「ポパイ」。
そうそう「奥様は魔女」「ルシーショー」いろいろ出てくるねー。
「木下恵介アワー」とかもみてたかな。


 早く一週間がたたないかと思っていた。楽しみでしかたがなかった。あんなたのしい感覚は、大人になって、テレビに関しては、そうそう持つことが出来なくなった。とにかく待ち遠しいーー!この一言に尽きるのであった。

 それで最近はチャングムあたり、その感覚がちょっとよみがえるような楽しさなのである。
でも、TSUTAYAに行くと借りられるらしいけれど…。それに、これそのものが再放送。BSでやってすごく好評でNHK総合の方に登場したらしい。でも、これがよく別の放送が入って、放送が抜けるときがある。きのうも放送がない日なのだった。
チャングムの放送が一時期金曜に変更になったときNHKに電話が、土曜日のいつもの時間、チャングムやらないんですか?ってね。

 当時は、「鉄腕アトム」だってなんだって、TSUTAYAだって、ビデオだって、どこにもない。そのとき見逃したら大変だ。
 
 まあ、世界中で、素晴らしいものは、共有出来たらいいんだと思う。「奥様は魔女」だって、デズニーだって、よくみた。
後に、日本の「鉄腕アトム」だっていろいろなアニメが世界中で見られて、世界中の人を楽しませてきた。
チャングムだってね。

 話がズレズレだけれど、テレビが楽しかった。
この時代テレビは白黒で、小学校三年のころからカラーになる。
「魔法使いサリー」の服が赤なのだとはじめて知ったときはびっくりしたみたいな。

 木の円錐形の先細りの四本足の台にテレビは、乗っていた。音が出るスピーカーのあたりには布が張ってある。画面は丸く飛び出している。屋根にアンテナを立てて。

 そういえば、あんまりテレビを見るなと言われたことはない。
それは、もっと高学年になってからかな?
ある意味テレビ依存症だったのかな。いつからかそれも脱出するのだけれど、専門学校で寮に入る頃には、全然気にならなくなっていた。

 アニメと言う呼び方もそのころはなかったと思う。
テレビ漫画の主題歌をたのしく得意になって歌っていたな。

「テスの思い出」 その七 ー テレビ ー
( 2006.7.9 by makio-ym  )




      

ソーラさんとアスカさんののん気な一日 第二部 「 テスの思い出 」