「 新幹線に乗って 九州へ 」



 ソーラさんとアスカさんを連れて、おやじさん、おふくろさんと一緒に九州は小倉へと出かけた。
 2001年10月のことである。

 わたしが生まれたのは、福岡県小倉の小高い山の多いところだ。
坂道が多く、子供の頃、家の前の坂道を三輪車でよく下っては、
ささやかなスピードに酔いしれていた。

 山といっても険しいわけではない。
山の斜面に、家々があり、夜になると、
坂の上から見る向かいの山の家々の灯りがきれいだった。

 狭い範囲にこうした小山があるのだろう。
 夜、ひとり留守番をしているとき、
山の向こうからは、遠く汽笛の音が聞こえて来たりした。

 夜になると、何かの帰りなど、
暗い坂道を登って、家までたどり着くのがこわかった。

 犬との付き合いは、この頃からはじまっていた。
子供の頃、このふるさとで、細長くてカッコいいやさしい犬と暮らしていた。
 その犬は坂を上がった所にあるわが家の脇の
アジサイの垣根のところに小屋があり、
散歩といっても鎖を離してやると、自由に裏山を走り回っていた。
 呼ぶと、矢のように駆けて来て、捕まえようとしても、
わたしの横を、すごいスピードですり抜けていった。

 そのふるさとを8歳のとき離れた。
大人になって、九州のおばあさんのお葬式のとき訪ねたら、
何もかもが自分が思っているよりもずっと小さく思えた。
 長い坂道だと思っていたのに、あっと言う間に登ってしまった。

 そのふるさとを訪ねることは、そうめったにない。
10年に1回くらいかも知れない。
 今回の前に訪れたのは、13年も昔のことである。

 しかし、もう亡くなってしまったが、やさしくしてくれたおばあさん、
お世話になったおじさん、おばさんたち。

確かにわたしのルーツがここにあるのだ。

 だから、今回も一度は、どうしても訪ねておきたかった。
一昨年に亡くなったおばさんのお葬式には出られなかったが、
今回、おばあさん、おじさん、おばさんの法事を合わせて行うと言うことで、
よい機会でもあり、わたしも出かけることにした。

 今回、ソーラさんとアスカさんも一緒に出かけることになった。
家族が、3人とも泊りがけで出かけてしまうと、
彼女たちの世話をする人がいなくなってしまうからである。

                    ( つづく ) 
     

 ソーラさんとアスカさんののん気な一日ではなかった。
大変な一日というか、三日間であった。

 想像がつくと思う。

 まず、車で近くの駅まで出る。
車の中は、少し車酔いするらしく、ちょっとおちつかない。
膝へ登ったり、胸に飛びついて顔を舐めにきたり。
 わたしも他に荷物もかさばって、窮屈なのをこらえている。
自由に抱いてあげることはできない。

 それから電車に乗る。
 彼女たちに入っていてもらうのは、ペット用の籠ではない。
ちょっとしたアイデアで、
よくスーパーにおいてある真ん中に分かれる取っ手の付いた
おなじみ籠である。

 そこに、ふたり一緒に入っていてもらうのだ。
それに、上から金網をかぶせて(籠と同じく赤いやつ)、
その周囲をビニール紐で固定したもの。
 出入りのために一箇所は開きやすくとめてある。

 この中に、入っていてもらうわけ。
 お互いに頭を反対方向へ向けて、巴(ともえ)の模様のように少し体を丸くして
お互いのしっぽというかお尻の上に、お互いの長いあごを乗せている。
これも省スペースを有効活用するための工夫なのだろう。

 ふたりが入った籠を持ち上げてみると案外重くなる。
十キロ近くありそうだ。
 重いので、駐車場から駅までは、
お散歩紐で歩いてもらうことにした。
これから数時間に及ぶ缶詰状態へむけての体調の調整にもなる。

 荷物は、キャスターのついた運び用のバーへしばってひとくくりにして
その上に彼女たちの籠を乗せ、一人がキャリングのバーを斜めにして引き、
一人は彼女たちの籠の取っ手をキャリングバーの上に乗せたまま、
押さえて移動した。
 これで重さは苦にならない。
   
                  (つづく)  
     

 電車にのるときの乗車券は、手荷物の料金となる。
ほとんど気にならない料金だ。

 ローカルの電車の中がけっこう大変だった。
まず、彼女たちの籠がとても人目を引くのである。
 座席に座って足元に置いても、通路の三分の一は塞ぐだろう。
隅のほうに籠を置いて立っていればよさそうだが、
他の荷物もあり団体行動でもあるのでそうもいかず、
彼女たちの籠は、座席に座った足元に置いた。

 乗り換えのとき、ホームで待っているときなど、話しかけられたりする。
おじさんが寄ってきて、しゃがみこんで彼女たちに話しかけてりする。

 乗り換えたあと、電車の中で、籠を出入り口隅のコーナーへ寄せ、
てひそかに立っているとき、
子供ずれのおばさん(お孫さんを連れているようだ)が、
おやじさんたちと話し込んでいる。

 こんなことで恥ずかしがっていては、この先、やって行けないのである。
恥ずかしがるどころか、
むしろ彼女たいを得意に思って胸を張らなくてはならないのだ(ハー)。

 やっと、新幹線に乗った。

 こうなれば一安心だが、
おしっことかしちゃったら一体どうなるだろう。
具合でも悪くなったらどうしようか。
なき出したらどうしよう。
と気になることばかりで落ち着かない。

 小倉と言えば、13年前は、7時間半ほどかかった。
今は、のぞみ号で4時間半である。

 とはいえ、その間、狭いところでじっとおしっこも我慢して、
騒ぎもせずにやれるのか?

                    (つづく) 
      その二