「 わん太さんの思い出 その二 」

(アパートでのくらし)




 窓辺に寄り添う影 二つ
 ツバメとぼくと いつも暮らしてた
 パンを焼き 花を飾り 歌い
 物語のように暮らしてた

 バイバイ 小さな丸い目よ
 お前は高く 飛んでゆけ


 これはみんなの歌で聞いた曲。
わん太さんとわたしはまさしくこのように暮らしていた。
(きっと、この歌は恋人との思い出を歌ったんだろうけれど……)
わたしは、この全身茶色い毛でおおわれた男友達とふたりで暮らしていたのである。

 そのころわたしは冷蔵庫に入りたいと思っていた。
ハタと目を覚ますともう10年くらいの時間が経っていてそうなればいいなーとかね。
 あるときは、ふと夢で50年くらい先に行ったこともある。
そこは病室でわたしが寝ていた。膝が曲がって体が丸くなってしまっている。動くことが出来ない。もうお迎えがくるのを待つのである。点滴もしている。一気に人生の最後の場面に飛んだのである。
 でもこれまでも時間の流れは予想以上に早いし、ある日ふと気付くと、もうこんなとこまで来たのかと思うことがあるので、一気にこの場面に遭遇してもそれはそれでありかなっと思った。なんかちっとも経過を覚えていない。気持ちはわん太さんと過ごしたあの頃と同じである。でもわたしは今病室で丸くなって寝ている。
 なるほど、外から見れば、お爺さんに思えるかもしれないけれど、頭の中というのは、子供の頃と何一つかわらないものなのだなーっと納得している。案外どこかでまちがって、浦島太郎ではないけれども、玉手箱を開けてしまったんだろうか。
 でも、それでも充分な気がした。ああ、あっという間にここまで来たか。ちょっとホッとしたりしている。

 はたと気付くと昼寝から覚めたのである。リアルな夢だった。


 まあ、そんな訳で、それで実際冷蔵庫に入ることにした。
と言っても概念的なことで、なんだかやることも見つからないので勉強を暇つぶしにした。
 当時は夜間の大学がちょっとしたブームであった。まだラジオ講座もあって、ハリスの英単語とか楽しく覚えた。けっこう学校を離れてみると、これはこれでおもしろいものだと気付く。
 英語とか、受験に出る範囲は、実は、それほど広い範囲でなくそれだけ毎日やっていれば限られた範囲のことなのである。
 フォークソング一週間マスターみたいな感じ。それさえ覚えておけばいい。古文もしかり。日本史も。

 古文は実際おもしろい。大昔の人がこのような作品を残してくれたと思えばありがたい限りであるし、その考えていることもうなずけるから不思議である。
 日本史は、物事のルーツがここから始まっているのかとか、クイズみたいで楽しいものである。

 現代文はいまさらやっても仕方がない。
毎日仕事が終わるとそそくさとアパートへ帰って、お勉強。

 まず、ラジオ英会話を二つほど聞いて。その間にご飯が炊き上がる。ラジオ講座が終わると野菜炒めを毎日作ってわん太さんと一緒に食べる。
 そのときも必ず芸を10分付き合う。一日中わん太さんはアパートの六畳の台所の中にいるのである。このときくらいじっくり付き合ってコミュニケーションを。それで、わん太さんも一日退屈しているらしく、喜んでやってくれた。まあ、こんなことしか楽しみがないわん太さんは今思うと気の毒ではある。
 それで野菜炒めを八時には食べ終えて……。

 そうそう、このアパートは職場から近いのである。
そのころ五時半には職場のバスが出るので、またそのあとのバスでも六時には、商店街で野菜とお肉を買っているのである。
それで流れるように、アパートへ戻り、まず米を研いで電気釜のスイッチを入れてしまう。ラジオの英語の講座が始まるまでにそこまで一気にやってしまうことがその後の流れを決定付ける。

 まあついでに、朝は八時に起きれば、8時20分くらいだったかのバスに充分間にあう。このように時間の余裕のある日々をすごしてしまっていた。職場にはちょっと迷惑かけていたかもしれない。
 でも、逆に時間がたくさんあるというのも実はときと場合によってはけっこう大変なのである。
たくさんある時間と言うのを自分できちんと使い切ってゆくことは実は一番難しいのではないかと思う。

 これはもう十数年も前のことである。たとえば定年後とか、時間の使い方をあやまって、気力が抜けてしまいバタリと倒れる人はけっこう多いと聞いている。
仕事は時間を拘束するものであるけれども、実は、その人に与えられた活躍の場でもある。楽であるに越したことはないかもしれないけれども、時間さえあればいいと言うものではない。
まあ当然のことなのだけれど。そのときの自分にはそう思えた。

 冷蔵庫に入るという事は、実は時間との戦いであったとも思うのである。でもどうせ、人生はきっといつもどこかで何かと戦っているものなのだろう。十数年前のわたしはたまたまそんな課題を抱えていた。何かしなければならないことがあるということは、またもパラドックス的であるけれども、逆に、幸せなことかもしれない。



                      



 それで、一年目は落ちてしまったのだ。どうしてもやらなくちゃいけないことでもない。もうやめようかなー。とも思ったが、せっかくなのでもう一年だけこの目標、この生活で行くことに。
 
 話がずれたが、八時にはわん太さんとわたしは食事を終えるのである。そしてまた三時間ほどは集中して本を読んだりする。
 それで11時になると、わん太さんと散歩へ出かける。
けっこう歩くよー。途中でわん太さんは草の匂いをかいだり草を食べたりしている。わたしは、やはり本を読むと首が疲れてしまうので、自分で編み出した首にいい体操をしたりする。
 散歩の途中でダッシュとかも取り入れる。わん太さんも喜んで軽快に飛ばしてくる。なかなかやるのである。

 それで11時半過ぎに帰りシャワーを浴びて、12時からラジオ講座を聞いて、1時半ころ寝る。
判で押したように毎日これの繰り返しだった。これはこれで楽しかった。テレビというものは、みることがなかった。

 日曜になるとロングの散歩へ決まって出かけた。後は一日中アパートにいた。午前中はごぞごそ本を読んだり。昼過ぎにウワーッと背中を伸ばして、「さてと」と自分に声をかける。
 するとわん太さんはかさかさとしっぽを振って期待している。
お散歩へ出発である。

 アパートがある町は、けっこう自然に恵まれている。
まず、雑木林があったり公園があったり、近くには大きな川が流れていたり、土手や河川敷が広々としていて気持ちいい。土手の下には市街化調整地域で田んぼが広がっている。

 話はずれるがこの土手の上の道を自転車で走ると4月、5月はあまりにも気持ちがいい。思いついて、しばらくして自転車を買って職場まで自転車で通うことにしたのである。もう最高に気持ちがいい。土手の上の道は車は通らない。ど近眼のわたしも我物顔で道一杯にのんびりとサイクリングを楽しむことが出来た。
からだも丁度ほぐれてとても調子がいい。話がまたずれた。

 そうそう、自然に恵まれたこの町なのである。そしてわん太さんのお散歩。
 2キロくらいかな歩いてゆくと人工の河川があり、さくらで有名だったりする。そこまでよくわん太さんと歩いた。
日ごろはアパートの中に閉じ込められているわん太さんである。気持ちよさそうに歩くのである。
 いつもの道。いつもの家並みをチェックしつつ。人工河川の川原に出ると、草の香りがする。吹く風も気持ちいい。その中に2キロ以上テクテク歩いてわん太さんとわたしは立っているのである。

 「なー、わん太さん、気持ちいいねー。」

 「まずまずの気分ですね。ご主人。」

 わん太さんには、何が見えるのだろう。何が聞こえるのだろう。どんな香りがやってくるのだろう。人工河川敷にたっているとき、遠くを見たり、耳をピクピクさせたりしていた。
しばらくそこを歩き、家の方向に向かおうをすると、わん太さんは名残惜しそうだった。

 わたしにとっても、こうして身体を動かすことは勉強の効率を高めてくれた。お散歩の後はまた集中できた。これまでバラバラのジグソーパズルが、日々にスポリ、スポリ、また一つまた一つとはまって来る感じである。

 そのように日々は過ぎて、その次の年には合格した。
今度は、職場をやはりさっと上がり、かなり迷惑をかけつつ、近くの駅まで歩くと25分かかるが、そこを走って15で行く。そして電車に飛び乗る。いつもの電車。すると1限目の授業から30分過ぎた頃に間に合う。学食で安く食事が出来た。そして2限目。終わるとかなりの時間。その学校はやはり路線の関係で、わたしの降りる駅から急ぎ足で20分わかかる。だからその頃はよく急ぎ足で歩き回っていたのである。

 さらに、アパートに帰り着くとわん太さんが待ている。
夜学通いをはじめてからはわん太さんは気の毒だったかもしれない。犬は寂しがり屋である。というか仲間と引き離されて、人間のお世話を結果的に見させられているのである。
 それなのに、その唯一の役割で面倒みてあげるご主人さえほとんど一日いないのだ。わん太さんはアパートに一人ぼっちである。
 ソーラさんとアスカさんのようにふたりでいればまだしも。
また、ソーラさんとアスカさんの様に、ベランダとか屋外であればまだしもである。ひとりアパートの台所の中をウロウロすることのみ許されているのである。

 それでも、いろいろな音は聞こえてくる。いつも開けてある台所の窓や、ドア(カギ締めてるよ)の隙間(下のほう)から近所の犬たちの声や子供たちの遊ぶ声が聞こえてきただろうとは思う。幸いなことに、そのアパートのすぐ前が公園だったのである。

 それで、あまりに気の毒なので朝も散歩へ行ってあげることにした。ほんのすこしでもいいんだ。アパートの前の公園を10分間ほどウロウロする。
 そのように、わん太さんの散歩は何が何でも行かなければならないわたしの仕事だった。夜学が終わって10時半過ぎに帰り着き30分以上わん太さんの散歩へ出かけた。一日終わるとものすごくたくさん歩いているのである。ハーっと。



                      



 その様にして年月は流れていった。
冬の寒い時期は、その頃から石油ストーブにコタツ。まあ寒い時期はわん太さんにとっては快調だった。わたしにとっては散歩は寒かったし疲れもしていたが、寒さに身を引き締めることで風邪も引かない。でも、実は寒いとこをずっと職場から駅、また駅から夜学と歩き通すので、寒さに引き締まり過ぎたかもしれない。それでもわん太さんは寒い時期は体調が良かった。

 問題は夏の暑い時期である。
わたしは冷房の効いた職場の環境の中で快適に仕事をしつつ過ごしている。でもわん太さんは冷房もないアパートの台所で一日中過ごすのだ。
かなり参っていた。ある日アパートに帰り着くと、台所のあちこちに吐いてあった。
 やっとの思いで帰り着くのだが、そこからさらに、わん太さんの吐いたものを綺麗に片付けるなは大変だった。
でも快くわたしは直ちに作業をした。
それよりわん太さんの方がつらいのだと思うからである。
そしてお散歩へ。力なくトボトボとわん太さんは歩く。そんな日は、よく草を食べていた。きっとお腹に良いのだろう。
 それで、少しでも涼しくなるように、台所の窓を少し開けて、換気扇を一日中回し、扇風機を一日中まわした。少し楽になったようだが、それでも猛暑の日には、わん太さんは体調を崩すことがたびたびあった。

 そんな訳で、いつもいつもわん太さんがアパートの中の台所でのみ過ごすのは気の毒と思ったわたしは、日曜などはときどきわん太さんをアパートの前の公園の木につないで外へ出してあげた。時々見に行ったり、なき声が聞こえるといそいで出てみたりした。夏の暑い時は、夕方から夜にかけて公園へ出してあげて夕涼みをさせてあげた。
 木につないであるわん太さんのところへ子供たちが遊びに来たりしていた。または中学生や高校生、通りすがりの人やカップルがわん太さんのところへやって来た。。


 そんなある日こと、つないであったはずの木のところにわん太さんがいないのである。こんなことは以前にもあった。でもわん太さんと呼べば、どこからかわん太さんは現れるのであった。
その日もそうしてみた。出てこない。おかしいなーっと思いしばらく呼んでみた。エサを持ってきて読んでみたりもした。以前何回かこの手でわん太さんが戻って来たことがあったからだ。
それにそのときは鎖ごとないのである。鎖を引きずって歩くというのはちょっと考えてみてもてても危険に思えるのである。
引っ掛かって動けなくなることもあるだろうし、巻き込まれて車に轢かれるかも知れない。

 しかし、その日は、いくら呼んでも、ビタワンをもって来ても、わん太さんは現れなかった。

 「 おかしいなー 」

 仕方もない。また、後で探そう。
1時間から2時間おきに公園へ出てわん太さんーと呼んでみた。
しかし、現れない。どうしようもなくその日は寝た。

 朝起きて、また公園へ出た。そしてわん太さんを呼ぶ。
鎖ごといなくなったわん太さん。
鎖を引きずりながら、夜中中どこかへ出かけていたのである。
もしかしたらデートだろうか。それどころじゃないだろう。
 鎖をつけたままだと、どこかに引っかかると身動きが出来なくなったり。車に巻き込まれたりするかも知れない。いつもとちがって鎖ごとさまようわん太さんがよりいっそう心配なのであった。

 朝の公園、わん太さんはトボトボト現れた。
首の鎖はそのまま着いていた。
そのときの登場の仕方が、いかにもいやそうに、元気なかった。
きっとわん太さんはわたしの呼ぶ声をどこかで聞いていたんだろうなー。
 あるいは、このときわん太さんはアパートには戻りたくなかったんじゃないかなっと直観で思った。

 わたしが夜学に通っていた頃で、わん太さんはいつも一人ぼっちだったのである。
 それにその夏の暑さがすごかった。わん太さんが体調を崩すことも多かった時期で、わたしはよくわん太さんの吐いたものや、下したものの後始末を夜学から帰ってから黙々としていた。
 きっとわん太さんは、もうこの生活がイヤでたまらなくなっていたのかもしれない。

 思えば、アパートでわん太さんと一緒に受験勉強に明け暮れていた頃が、わん太さんには一番幸せだったかもしれない。わたしはいつもアパートにいたし、なんでかんで料理もよくつくった。そして、野菜炒めはいつも必ずわん太さんにおすそ分けしていた。
 夜学がはじまってからは、日曜くらいしか料理はしない。
わん太さんが一人でいる時間は確実に長くなったのだから。
 まあその頃には、仕事などのことで外泊もたまにあり、外泊は特にわん太さんには応えたと思う。



                     



 たとえば花の植木鉢がある。
水が少なくて少ししか上げられない。でも、とにかく水を切らさなければ、ギリギリまで放っておいても、きわどい寸前で水を上げれば枯れないのである。
 しかし、一旦、限界をこえて、それよりも長く水を上げずに放置すれば、枯れてしまう。枯れてしまえば、いくらその後で水をたっぷりと上げたとしても、もう無駄なことなのである。それは、いろいろなことにあてはまるだろう。

 わん太さんも一人ぼっちの時間が長くても、一日のうちで一定のサイクルであれば何とか頑張れるのだと思う。しかし、外泊で一人の時間がもっとな長くなれば、そして不規則にならば、そのストレスは何倍にもなるのだと思う。

 鎖を引きずりながら、渋々とのろのろと戻って来たわん太さん、きっとほんとはもう帰って来たくはなかったんだろう。
でも仕方もなく返って来るしかなかったんだろう。
もっとやさしくしてあげたいが、わたしも体力の限界で、時間的にもどうしようもない。


 話しはかわって、わん太さんの寝言。
わん太さんはよく寝言を言った。
わん太さんは台所で寝ている。畳の部屋は、ガラス戸で仕切られていた。
そのもう一つ奥に畳の部屋があってそこに布団を敷いてわたしは寝ていた。
 といっても、六畳二間のアパート、わたしの寝ている部屋とわん太さんのいる台所がそれほど離れている訳でない。

 わん太さんは、このガラス戸に一番近いところ。玄関からは一番遠いところに
毛布に腹ばって寝ていた。
 要するにわたしの寝ている部屋に一番近いところにいつもいたのである。部屋の電気を消すと、台所のいつもつけっぱなしの流しの電気に浮き上がってわん太さんのシルエットがガラスの戸に写るのである。化け猫じゃないよ。

 そのわんたさんが、夜中とかによく、

「クークーぐるる」とないている。

 寝言なのである。夢を見ているようだった。

 アパートでのこのきびしい毎日の中で、きっとわん太さんは子供の頃のことを思い出しているんじゃないだろうかっと思った。
 その寝言のトーンがとてもやさしかった。なんだか誰かに甘えているような声だったからである。

 このようにいつもわん太さんの寝言を聞きながらわたしは眠りについた。寝言が聞こえる方を見ると、台所のガラス戸に寄り添うようにそば近く、わん太さんのシルエットが浮んで見えた。
それは何とはなしに安心感をわたしに与えた。

 わん太さんの食事。について。
 わん太さんは痩せていた。もう少しエサの量をふやしても良かったのかも知れない。一応ビタワンの説明書きの分量を目安にしたが、どうも勘違いしていて、ずっとこれでいいかなと思っていた量が、実は分量を間違えていた。それでかなりダイエット傾向でずっと来てしまた。食べたりなかったかも知れない。

 ある日アパートにシラスさんが(永いつきあいで)やって来たとき、もうちょっと上げてもいいんじゃないのーと言ってくれたので、分量を再チェックしてみた。
 ずいぶん長いことかなりお腹もすかせていたのかもしれない。食べるのは犬にとっては唯一の楽しみだからもう少し上げても良かったんだ。

 でもやはり食べすぎも良くないし、散歩のときはけっこう元気でぐいぐい引いていたので、まあ、良かったのかな。
 それにいけないと思いつつも、ヨーグルトとかゼリーとかお菓子とかをやっぱり上げてしまった。
わたしがいるときは必ず台所のガラス戸へばりつきでいたから、ちょいっとガラス戸をあけてね。
 それでも、もっともっとあげたかったと今にしてみれば思う。
あげすぎは良くないよ。きっとそのダイエットのお陰で、フィラリアがあっても長生きできたんじゃないかな。っと言ってくれる人もあり、そうかも知れないとは思うけれど。

 それに比べるとソーラさんとアスカさんの恵まれたこと。
毎日のように必ず何かしらのおやつをもらっている。
サツマイモのスライス。その他おふくろさんからは、ジャキーのたぐい。ちょっと太り傾向。逆に太らないよう気をつけないと。


 アパートの更新が2年ごとにある。6年ほどこのアパートで暮らしていたので、2回更新があった。
更新に行くたびにちょっとドキリっとするのである。

 そのころ、現金を不動産屋に直接持って行っていた。
おばさんが言うのである。

 「あっ、どうもご苦労様。お宅も長くいてくれますねー。いえいえうちはありがたい限りですよ。どうも。どうも。
 あのー、ところでお宅の近くに、あのアパートで、犬を飼っている人がいるっていう話があるんだけれど。お宅、知りません。」
 
 「いえ、ぜんぜん、知りません。へー、アパートで犬なんて飼っている人がいるんですか。困りますよね。」

 その様に、更新の手続きのときに言われたが、わたしはすっとぼけたのだった。