「 わん太さんの思い出 」
わん太さんとは12年間一緒に過ごした。
わん太さんは拾い犬であった。偶然団地の中を歩いていたら、おふくろさんについてきた。相性がよかったのか、タイミングがよかったのか、おふくろさんの車に乗り込んだとのこと。ちゃんと首輪も着けていた。きっとどこかの家に飼われていたのだろう。それが何らかの理由で、その一家が犬を飼うことが出来ない環境へ引っ越さなければならなくなったのだろう。
だから最初から車に乗り込むことにも慣れていたのだろう。
あるいは、お腹が空いていたのかも知れない。いやだとためらう状況になかったのかも知れない。まだ子犬をやっと脱して少年の頃であったと思う。きっと生まれて半年くらいたっただろう。まだまだあどけないところが残っていた。
家にやってきてからも、靴とか、いろんなものを手当たり次第に噛みまくっていた。
ソーラさんにもそんな頃があったなー。
まだまだ子犬であどけなさが抜けない頃だ。そんな頃にワン太さんは捨て犬になって、団地の中をお腹を空かせてふらふらとさまよっていたのである。
わん太さんは、楽しい家族に囲まれていたのかも知れない。
犬を飼うくらいだから、あるいは家族に子供さんがいたのかも知れない。わん太さんを残していった家族はどんなふうに思ったことだろう。わん太さんはその別れをどう受け取ったことだろう。
そして、決まりとしては、保健所へ引き渡さなければならないはずだ。しかし、それもままならなかったのだろう。
「また、いつか会えるね。わん太さん」
っと子供たちは言ったかもしれない。わん太さんもそう思っていたのかも知れない。
第一その家族の中でわん太さんは何という名前で呼ばれていたんだろう。分からないことだらけである。
とにかく、わん太さんはまだ若いいたいけなさの残る頃に、ご主人家族に見捨てられ、こがらしの吹く憂き目を見たのである。
わん太さんはほんとに思い出しても気丈な犬であった。
何でもよく言うことを聞いた。どこか遠慮があったのかも知れない。
たとえばソーラさんは生まれて間もない頃からウチにいるので我が物顔でわがままである。これは大変にハッピーなことだ。
ところがアスカさんは、途中からウチにやってきたので、いつもご主人の顔色を見つつ遠慮勝ちである。
ちょっと話はずれるけれど、散歩のとき写真をとった。
それで「見返りソーラ」というのが撮れた。
これはどんどんと先へ行くソーラさんを呼び止めると、ふっとからだを前に向けたままで、顔だけで振り返るところを写したものだ。
ところがアスカさんにはこの写真は撮れない。
ソーラさんと一緒に、わたしより先に歩いていても、
「アスカ」
と呼べば、アスカさんはたちどころにからだの向きを換えてわたしのところへやってくる。呼ばれればさっとわたしの所に来てしまう。振り返る瞬間を撮りようもない。
わん太さんにはこのように途中からウチへやってきたと言う遠慮があったようだ。いつも礼儀正しくいい子過ぎた。それは、さすらいの日々が身にしみついているからなのだろう。
こがらし紋次郎の様に。
わん太さんは散歩の途中で他の犬とすれ違うときも、胸を張って堂々とすれ違う。強い犬であった。さすらい時代に場慣れしていたのだろうか。
のらの時代、孤高の犬、もともとが一匹狼の犬であった。
わん太さんの方からほえることはない。どの犬に対しても頭を下げないことになる。
チョイっとしっぽを振るだけである。相手の犬がほえてもお構いなしなのだ。
ソーラさんとアスカさんは散歩の途中で他の犬とすれ違おうものなら大変な騒ぎである。
ほえてみたり、驚いて見たり、おびえてみたり、威張ってみたりする。
わん太さんくらい堂々と散歩する犬を見たことがない。
あるとき、すれ違いざまに飛び掛ってきた犬があったが、
ひょっと後ろに回りこんで耳に噛み付いて押さえ込んでしまった。一瞬のことだった。相手の犬はしっぽを巻いて恐れ入ってしまった。
そう、わん太さんはからだはそれほど大きくもないのだけれど、とても強い犬だった。
柴犬の雑種で中型犬。見た目はとてもかわいい。
からだのバランスがとてもよかった。大きすぎず小さすぎず長すぎず。
顔も整っていて、耳がピンと三角に立っていた。
見事な犬だった。
大きな犬とすれ違っても、わん太さんの方からなくことはなかった。大きな犬の方から、うなったり威嚇してきてもわん太さんはすました顔。こんな犬に出会ったのはほんとにはじめて。怖くないのかなー。よく出来た犬だった。度胸のいい犬だった。。
ともあれ、保健所に通報されて連れて行かれる前に、おふくろさんに出会い、「車に乗るかい」とドアを開けて誘ったら、ちゃんと車に乗り込んできたのであった。
そのようにして偶然我が家にやってきたのである。運がいいのか悪いのか?
最初の6年ほどはわん太さんは、我が家のメンバーに囲まれて過ごした。けっこうハッピーだったろう。
わん太さんはまだまだ若かった。ウチに来た頃よく靴をかんだ。三足ほど運動靴が血祭りにあげられて。まだあどけなさが残ると言うのはこのことである。きっと歯が伸びてきてむずがゆかったんじゃないだろうか。
九州でテスと過ごした経験から、テスが出来ていたんだからきっとどの犬でも出来るはずだと思い、若き日のわたしは、ソーラさんとアスカさんの比ではない猛特訓をわん太さんに課してしまった。コツをつかむとわん太さんはよく覚えた。
あまりの猛特訓にそれを見る人はみんな、
「ちょっとかわいそうじゃないのっ、」
といった。
しかし、それはわたしとわん太さんにしか分からないことなのだとわたしは考えていた。でもねー。
でも今思うとやっぱりかわいそうかな。
実は、今ソーラさんとアスカさんがメインにしている芸の一つ「お鼻」や、「ずーっと伏せ」もこの頃考え出されていたのである。
猛特訓。ビタワンをあげる前に、延々と訓練は続く。20分は絞るね(^^;)長いときは30分はじっくり付き合った。
まあわたしからすると献身的にやったつもりだったけれど。
他からみれば行過ぎていたのかもしれない。
わん太さんがどう思ったか。勘弁してくれよーって思っていたときもあっただろうなー。
どうもしつけしている内に熱が入ってきてね。
オー……、怖。(ー_−×)
わん太さんは集中力があった。分からないと困った顔をした。ちょっとコツをつかみかけると少しビタワンを上げて、
「その調子だよ、」っと励ます
そして、たとえば「くるんと回れ」などはついに一回転したときなど「ヨーシ」といって頭をなでさすり満面の笑顔でビタワンをぜーんぶ上げるのである。
「はあーーーー、この事かーーー。」と
かしこいわん太さんは納得するのである。
ソーラさんとアスカさんの今やっている芸の全てはわん太さんには出来た。
わん太さんは根気もあり集中力もあって、エサをあげる前には必ず15分程度の芸の時間をこなした。
若かりし日のわたしはもまた熱がこもっていた。
そして、次々と新しい芸に挑戦した。
さすがのわん太さんも横を向いてもう反応しなくなることも時にはあった。
ご主人の言うことを聞かないとはどういうことだ。
っと若かりし日のわたしは思うのであった。
そんなときは無益な根気比べを徹底的にやってしまったのである。
わん太さんはきっと思ったかもしれない。
「どうせやどなしだからなー。言うこと聞かないわけにも行かないだろうなー。でも、果たしてこのご主人とこれから先上手くやってゆけるのだろうか……」
その頃のわたしはそんなことにお構いなし。
「なんで、わん太さんは言うこと聞かないかなー……」と
不満に思っていたのである。
ソーラさんとアスカさんは気まぐれで食事の前の芸もほんとに申し訳程度やるだけに今ではなってしまった。
乗ってこない。ソーラさんがすぐにフリーズするのである。
どうも犬によって性格が違うようだ。
ミニダックスは本来気ままに出来ていると思う。
わん太さんは根気よく付き合ってくれた。
それで、お手とかするとき
「へへーんこれでいいでしょ」
みたいなちょっとご機嫌な顔で、ニマッとする。
けっこうわん太さん自信も嫌いでないところはあったと思う。
わん太さんがいろいろな芸をどんどん吸収してゆくのでわたしはふとあることを思いついてしまった。
これだけ賢いわん太さんである。人間の言葉は当然理解できる。
きっと「数の概念」も分かるんじゃないだろうか。
それで数の概念を教え込もうと思った。
「ハイ、わん」って言ってみて。
「ワン、……、ワンワン」
「ちがうんだなー。ジャあ、ワンワン」
「ワン、……、ワンワン。うーワン。」
「ちがうちがう。じゃあワンワンワン」
「ワン、……、ワンワン。」
「うーん。もう一回ね、ワンワンワンって言ってみて」
「うー、ワン。うーうーワン。うーワン」
そのうちにお近所の方の声がどこからか響く。
「コラー!ワンって言わせるなー!!!」
確かにちょっとうるさいかも知れない。
それで、わたしはこの芸を断念したのである。
でもわん太さんは、他の芸は何でもできるんだからいいのだ。
ときどきヘソを曲げながらも若かりし日のわたしは、わん太さんを自分なりに可愛がっていたのである。
さっきも話したように、わん太さんはすばらしい犬だったので、わん太さんとお散歩で一緒に歩くとき、わたしは得意だった。
立派な血統賞のついた犬でもないのに、こんなにバランスが取れてハンサムでしかも可愛い。いつもさっそうとして堂々としている。
中型犬なので体力もあり、ぐいぐいと引っ張られるのでけっこう体力を使う散歩だった。
こちらもムキになって力まかせに引き戻したりした。
当然わたしの方が力は強い。でも頑張って引き戻しても、わん太さんがどこかおかしくするような具合が悪くなるような心配は全くなかった。
散歩の距離も半端でなく、ソーラさんとアスカさんのように野球のグランド一周で足りるようなものではなかった。団地の公園を一周がお決まりのコースで30分はかかった。
時には一緒にジョギング、も出来た。なんせ体力がある。
いつかは、○○の博物館の方までジョギングしたりした。
さすがにわん太さんも短距離はすごく早いが長距離となるとわたしの方が早かった。
そのくらい本気になってわん太さんと張り合って行けるぐらいのわん太さんの体力だった。
また、家の中が忙しくごたごたしているときは、わん太さんの散歩を理由にわたしは外へ逃れて頭を冷やしたり、心を沈めたりもできた。
わん太さんはそんなとき
「ドンマイ」っと
言ってくれている様であった。
あるときスキヤキをした。みんなでおやじさんたちとたくさん食べて美味しそうなお汁が残った。
そうだわん太さんにも上げよう。わたしはそのお汁にご飯を混ぜてわん太さんへ上げた。わん太さんは喜んでこのご馳走を食べた。
翌日わん太さんの腰が立たない。
わたしは密かに思った。
おやじさんがわたしの留守の間に折かんでもしたんじゃないだろうか。
見かけによらずひどいことをする人だったんだ。(まさかー)
それで医者へ連れて行ったらネギ中毒だった。
原因は、スキヤキのお汁だ。長ネギを煮るからその成分が溶け出してたっぷりと入っている。獣医さんにネギはダメですよ。あと鳥の骨。
それは分かり切っていることだった。しかし、お汁に溶け出した成分でもやっぱりダメなのだ。
わん太さんが立てなくなった原因はわたしだった。
人を疑ってしまってやはり若かりし日々というしかない。
それと、そんなことが他にもあった。
そのときはハンバーグを上げたのだ。お弁当のハンバーグ。
そのときもわん太さんが具合がわるくなった。そう、たまねぎを刻んでハンバーグに練りこんで作ってあったのだ。
わん太さんの小屋は食堂の窓のすぐ下にあった。窓からのぞくとそこにわん太さんの小屋があった。ぶどうの棚があり夏は木陰になっていた。
寒い日、暑い日、雨の日食堂の窓からのぞいてわん太さんは元気かなっと確認した。わん太さんはこの窓辺が気に入っていたと思う。食事のときにぎやかな話し声が聞こえるからだろう。
そのように6年ほどたったある日、
わたしは仕事その他の理由からこのうちを離れてアパートで暮らすことになった。
実はおやじさんたちも事情でこのうちから出たので、
わん太さんはわたしが連れてゆくことにした。
はじめどうしたものかと思い、空き地に小屋を持ってゆきそこで飼っていた。
しかし、夜になるとさすがのわん太さんも寂しがってなくので結局わたしはアパートにわん太さんを連れ込んだのである。
夏の暑いとき、フィラリア駆除の薬をわん太さんに飲ませた。
最初、暑いさのためにやられたのかっと思った。確かにそれもあっただろうが、実はフィラリア駆除の薬のせいなのである。
空き地の小屋へ行ってみるととわん太さんがバタリと倒れていた。
横になっている。こんなことはみた事がなかた。
元気が全くない。
それでこのまま抱いて行くのも重いので、わん太さんをダンボールに入れて、そのダンボールを自転車の荷台に乗せて自転車を押してテクテク1時間半ほどかかる夜の道を押して行った。わん太さんは歩けない。元気ならそのくらいの距離はわたしとジョギングで伴走してくれるくらいである。わん太さんは自転車でゆられながらダンボールから首を出していた。
アパートに着いてから、たっぷり水も飲ませたがだんだんさらに元気がなくなり横たわったまま息遣いも荒くなった。
こりゃヤバイと言う感じ。もうダメかもしれないとマジで思った。おやじさんたちへも電話で相談した。
フィラリアの駆除の薬はわん太さんのからだの中で卵からかえってしまった幼虫をたたく薬である。その幼虫がデカくなればからだの中でさらに卵を産んで血液の中でフィラリアが増殖して心臓にたまって心臓の動きを阻害する。血液中のフィラリアが増殖しないうちにたたかなければならない。出来ればきちんと予防薬を月に一度飲んで卵さえ血液に入れないようにするのがいいが、わん太さんの場合風来坊の期間があったので既にフィラリアが入っていたようだ。
フィラリア駆除の薬で血液中のフィラリアの幼虫が死ぬ。それがきっと血液の中でどこへ行くのか。具合が悪くなるのも当然だと思う。
この治療はけっこう危険なようだ。これが上手くいけばその後生きられる時間が長くなる。でもヘタすると……。
わん太さんはまる2日以上こんな状態だったが、夜中だったかひょっこりおきだしてエサを食べたがったのである。どうも峠はこえたのだろう。
そのときはきっと仕事が休みだったんだろう。連休前から連休にかけてかも知れない。というのは、息も絶え絶えのわん太さんを残して仕事へ出かけたという記憶がない。それなら心配で仕事が手につかないと思うから。
わん太さんは、まだ生きられることになった。このようにしてわたしとわん太さんのアパートでの暮らしがはじまったのである。