「 うさぎとかめの大決戦 その一 」
(時代を超えた戦い)




 うさぎとかめの競争については、歌にも歌われていて、みんなのとてもよく知るところである。

 この事件については、実はずいぶん昔のことである。
そして、実は、時代を超えて幾度も戦われ続けて来たのである。

 最初の戦いは卑弥呼の時代にさかのぼるのとのこと。
また、少し時が過ぎ、大黒様の旅行中に因幡の白うさぎの伝説がある。そのころまで、うさぎとかめの因縁の対決のルーツはさかのぼるのである。

 さかのぼれば、うさぎの不運というのは、サメにみぐるみ剥がされて大怪我を負ったこの頃から運命づけられているのかもしれない。幸いにして、通りかかった大黒様に助けられて、九死に一生を得たのであった。

 大黒様の印象としても、その頃から、うさぎはブラックリストに載せられていたのである。

 うさぎは確かに勉強が出来ないという生徒ではない。むしろ出来る方かもしれない。しかし、コツコツと勉強をして研鑚を積み重ねてゆくタイプではない。テストがあれば、いかに赤点ぎりぎりで通過できるかということをまずは考えるタイプなのだ。妙に要領がいいのである。でも実は、学校はあまり好きではない。そんなタイプなのだ。

 大黒様としては、こいつはちょっとと要領のいいのだが、しかし、結局はそれが仇なす人生を過ごすであろう、とうさぎをあわれみもしたことだろう。
 しかし、うさぎのその運命を気をもみつつも見守るしかなかったのであろう。

 そして、今昔物語が作られた頃には、浦島伝説のルーツが見られる訳だが、そこに登場するかめが、実は、この因縁の対決のかめに、かかわりが深いとも言われているのである。

 鶴は千年、かめは万年、といわれるように、かめは寿命が長いのである。実は、かめは仙人の使いといわれている訳だが、大黒様チームの神々からも花丸リストに載せられていたのである。
 堅実なかめのありよう。その重厚さ。温厚さ。うさぎとは対照的である。

 鶴は……? 鶴は、かめほどには、神にとってそれほどには深く印象に残っていないが、しかし、なかなかの人物であった。この時代を超えたうさぎとかめの決戦の審判であったことを知る人は少ない。  が、考えてみればそれもうなずけるところである。

 そして江戸時代、そして近世……この戦いは、うさぎとかめの子孫に受け継がれて戦い継がれてきたのである。。

 そして、この戦いは、実はいつもかめが勝って来たのであった。
 うさぎの勝利が確実に思えるこの戦いにおいて、しかし、事実は、何代にも渡って、うさぎはかめに勝つことが出来ないのである。

  そんなーーー!

 と思うかもしれない。わたしもそう思う……。
でも、やはり、どうしても、うさぎは、かめに、けして勝つことはないのである。

 勝つべき戦いに敗れたうさぎのご先祖たちは、無念のうちに人生を送っていったのであった。打倒かめをいつも心の奥底で思わない日はない。

 そればかりではな。人々の冷たいまなざしに打ちひしがれるのであった。

 「あっ、あのうさぎだよ。なにやってんだろう。一族のつらよごしだよ。」

 「かめなんかに負けるなんて……」

 「ちょっと、考えられなーィ……」

 偏見と差別に打ちひしがれて、あいつは、かめに負けたうさぎなんだ、と世間に言われ続けて、うさぎのご先祖は、さびしくうらびれた落ちぶれた人生に身を沈めて来たのであった。

 かめは、一躍有名人になった訳だが、これまで通りの堅実実直なその生き様を変えることはなかったんである。ブームが過ぎるのをじっと待って、お金に目がくらんで……ということはない。以前とまったく変らない歩みなのである。かめは一体それでなにがおもしろいのだろう、と思う人もあるくらいだ。