ソーラさんとアスカさんののん気な一日


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ー 第三部:SF未来編(2) −


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2008年6月1日(日)

ソーラとアスカ(32)
「ついにその日がー」

パーン

とくす玉が割れて、ひらひらと紙吹雪が舞いかかる。

拍手と歓声がおこる。

ついにその日はやって来たのだった。

人類の歴史上記念すべき日はついに訪れた。

それは、お年よりたちが集うある会の席上にて行われた。

日頃から同じ町の中でちょくちょくお年より達が健康増進のため、交流を深め心の健康増進のためにもこうして集まっていろいろたのしいことをしている。

その席でささやかに行われた。

いつものようにここに集まる町のお年より仲間といつもと変わらずに祝いたい。

実のところ大勢の取材のオファーを断るは大変だった。

カメラは一台。
いつもの町内のケーブルテレビだけ。

ここの中では、こうして、いつもと変わりなく、のんびりと、ささやかに、なごやかに、お祝いの行事がおこなわれている。

きっと外にでれば、また帰宅すれば、取材の人達が大勢押しかけることだろう。きっともみくちゃになるかも知れない。

何せ、世界的な記念日となるのである。


今日は、2208年3月25日火曜日。のどかな昼下がり。


ソーラおばあさんは200歳の誕生日を迎えた。
人類史上はじめてのこと。

個体としてついに200歳を迎えた。

人類は、ついに200歳の長寿にたどり着いた。

200年。

所詮人間の寿命などは宇宙、いや地球の営みに比べても、一瞬の瞬きにすぎない。
とはいえ200歳。

かと言って西暦2200年の現在においては、平均寿命は180歳なのだ。だれだってまあ190歳あたりまでは行くのだがー。

実のところ、その先の10年間がなかなかに長い道のりなのだった。

198歳の最高長寿者が現れて30年。199歳の最高長寿者があらわれてからもう20年月年が過ぎた。

この20年、人類はこの壁の前で立ち止まる。越すことができなかった。

もうヒトにおける長寿の限界なのではないか。とささやかれさえした。

ヒトはいろいろな記録に挑戦して来た。

100メートルを何秒で走れるのか。42.195キロは何分で走れるのか。どれだけ高く飛べるのか、どれだけ遠くへ飛べるのか。

しかし、その全てにはやはりやぶることの出来ない壁がある。しかしだからこそ記録には意味がある。

ソーラおばあちゃんは2008年3月25日生まれ。200歳だ。


大昔、人間はサーベルタイガーに食べられていた頃は、大人成れるかわからないし、もう25歳くらいで死んでしまっていた。





2008年6月8日(日)

ソーラとアスカ(33) 
「皮肉なことにも、温暖化が…」

199歳の最高長寿者があらわれてからもう20年の年月、長寿記録は200歳を目の前にして足踏みし、破られることはなかった。

もうここが人類の壁ではないのか。

しかーし、
ソーラおばあちゃんは2008年3月25日生まれ。200歳。ついに人類が一つの壁を越えた瞬間だった。


原始時代、人間がサーベルタイガーに食べられていた頃、大人に成れるかどうかわからないし、もう25歳くらいで死んでしまっていた。

時代は飛んでむかし日本と言う国の戦国時代は、人生50年と唄われていた。

また、同じ昔日本と言う国で、ソーラおばあちゃんの生まれた2008年ころ、後期高齢者医療制度と言う法律ができたそうで、75歳が後期高齢者とされていたんだそうな。


話は横道にそれるのだがー。

まあ2200年のころ23世紀ともなれば、国
としての壁はなくなり、ひとつの地方に過ぎない。

第三次世界大戦はおこらなかった。
戦っている暇がないくらいに、世界中で大自然の猛威が牙をむいたからだ。

ソーラおばあちゃんが生まれたころ、地球温暖化に歯止めがかからず、大自然の異変がはじまっていた。なまやしいものではなかった。世界中の人口のまさに半分が大自然の災害のなかに飲み込まれて行った。

しかし、そのことが人類にとってもしかしたらよかったのかもしれない。
ひとの能力、知の力の結晶であるところの科学技術は、人を傷付けるためにあるのではなく、ひと同士助け合うためにあることをあらためて気づかせてくれたのだ。

人類は軍拡競争をやめた。

もしかしたら、神はあるのかも知れない。この試練がなければ、あるいは人類は……。
ソーラおばあちゃんが200歳を迎えるどころではなかったかも。

そんな訳で、23世紀国境はないのだった。

人類の寿命に大きく貢献したES細胞はソーラおはあちゃんが生まれたころ発見されているのである。

その後の医療分野の技術の進歩はめざましかった。

ソーラおばあちゃんの人生のあゆみをふりかえってみれば、
その長い人生の節目節目、その命が危機にさらされたとき、新しい生命科学の最先端の技術が、ソーラおばあちゃんの命をともし続けてきたと言ってもいい。

昨日は助けることができなかった命を今日は救うことが出来る。それが科学の進歩というものなのだろう。






2008年6月15日(日)

ソーラとアスカ(34)
「種は何故永遠の命を手放したのか。」

ソーラおばあちゃんの人生のあゆみをふりかえってみれば、
その長寿の節目節目、その命が危機にさらされるたびに、新しい生命科学上での発見と最先端医療技術がソーラおばあちゃんの命をともし続けてきたと言ってもいい。

昨日は助けることができなかった命を今日は救うことが出来る。それが科学の進歩というものだろう。


200年前の予測では、ヒトの寿命の限界は、はだいたい140歳とされてた。

人類を含む多くの生物の種が有性遺伝のシステムによって子孫を残す道を進化の過程で選択してきた。

有性遺伝のシステムでは、必ず遺伝子の組み合わせの中に突然変異が産まれる。
一般の平均的個体から飛び抜けてかたよっている。
その動物の社会の中ではもしかすると適応出来ないくらいに他の個体とはかけ離れた性質を持つ。あるものは優れ、あるものは劣る。あるいは性質そのものが偏位する。

しかし、この突然変異こそが種を存続させる鍵となった。

ほとんどすべての個体が死に絶えても、これまで片隅に忘れてさられていた突然変異の個体だけがその中では生きながらえることが出来た。そして種をほそぼそながら絶滅から救った。命のバトンを未来につないだ。

しかし、このシステムを取り入れる代償として、その種は、個体としての永遠の命を手放した。必ずそれぞれの個体には老化があり、限界があり、そして死が訪れる。

個体に必ず死訪れると言うことは、当たり前のようだが、考えて見ると不思議なことだ。

個体に死が訪れると言うことは、個体を作り上げている細胞に寿命があると言うことはだろう。

からだの細胞は絶えず新陳代謝して、入れ替わっている。
また、古い細胞は新しい細胞に入れ替わりもする。

その絶え間なく見える営みの中に老化の時限爆弾の装置が仕組まれているのだろう。

その時限装置は、細胞の分裂の回数を制限しているのだろうか。
老化すると新陳代謝はにぶり、細胞分裂もにぶくなる。細胞のパワーが落ちる。
一説によると、細胞分裂を繰り返す度に遺伝子のシッポが切れてだんだん短くなり、分裂のパワーがにぶくなり、最後は細胞はもう分裂しなくなる。細胞は死んでしまう。

個体の健康をどんなに維持しても、細胞はレベルの死は訪れる。細胞はレベルの死は個体の死を意味する。

200年前それは、大体140歳くらいではないかと予想されていた。





2008年6月22日(日)

ソーラとアスカ(35)
「ソーラおばあちゃんの人生」

有性生殖のシステムを進化の過程で選択した種は個体としての永遠の命を手放した。しかし、種としての遺伝子の中に永遠の命を繋いだ。

個体に死が訪れると言うことは、個体を作り上げている細胞に寿命があると言うことはだろう。絶え間なく見えるその営みの中に老化の時限装置が仕組まれている。

一説によると、細胞分裂を繰り返す度に遺伝子のシッポが切れてだんだん短くなり、分裂のパワーがにぶくなり、もう分裂しなくなると言う。

細胞の死は個体の死を意味する。

200年前それは、大体140歳くらいではないかと予想されていた。

しかーし
ソーラおばあちゃん200歳。その限界を遥かに越えている。

その200年の人生において幾度も最先端の医療に命を救われている。

まず、60歳のとき。いぬいぬ大学の教授として働いていたが、もう研究がおもしろくなってついつい働き過ぎてしまった。またひとに頼まれるとついつい一肌脱ぎたくなる。義理がたい性格がよくなかった。とうとうに心臓を悪くしてしまった。

たけど、培養臓器の技術で自分のES細胞から心臓を作ってもらって取り替えてもらって元気にまた働けるようになった。

この頃、まだ培養臓器は高額だった。だいたい一年分の給料が必要だが、背に腹は代えられない。
ソーラおばあちゃんの一人目の旦那さんは一生懸命に働いて、その費用を出してくれた。とてもいい旦那さんだった。

とてもいい旦那さんだが、平均寿命が150歳を越える23世紀、だいたい50年も一緒にいるとあまりに空気なような存在になりすぎてわがままも出る。
まだまだ元気。これから100年ある人生、馴れ合ってしまってはふたりのためにならない。
そこで、ふたりはまた新しい道をお互いに歩むことにした。

人生に長い時間が許されるようになると、人生感もまた移り変わって行くのは世の常だろう。大昔なら、理不尽と非難難されたかもしれないが、人生150年。140歳くらいまではみんな元気に働いている。100歳なんてまだまだみんな若々しい時代。

そんな時代にあっても与えられた人生の時間はそれぞれにやはり大切なのである。

多くのひとたちが、ソーラおばあちゃんと同じ選択をしている。

別々の道を歩くようになっても、何か嫌いなったとか、恨んでいるとか、そんな気持ちはぜんぜんない。感謝の気持ちでいっぱいだ。お互いの長い人生を遠くで見守り続けるのだった。





2008年6月29日(日)

ソーラとアスカ(36)
「120歳のとき」

多くのひとたちが、ソーラおばあちゃんのような選択をしている。

別々の道を歩くようになっても、何か嫌いなったとか、恨んでいるとか、そんな気持ちはぜんぜんない。感謝の気持ちでいっぱいだ。お互いの長い人生を遠くで見守り続けるのだった。

そんな訳で、ソーラおばあちゃんの人生のなかで三人の旦那さんはみんなとてもいいひとだった。

そして三人の子供たちもみんな元気にやっている。

30歳で結婚しました。まだまだ若いとき。
一人めの子供さんは40歳のころさずかりました。男の子。とてもやさしいです。今160歳。まあ、早いもので子供と言ってももういい年になる。

しかーし、200歳を迎えたソーラおばあちゃんからみれば、赤ん坊の頃の面影はそのままで、いつまでたってもまだまだ子供に思えて心配なのだった。

二回目の人生のスタートは70歳のとき。
長くいぬいぬ大学の仕事をしていましたが、また新しい仕事にめぐり会いライフスタイルが変わりました。ちょうどその頃一人めのだんなさんもまた人生の転機を迎えていましたので、新しい目標に向かってこれからまだまだ長い人生の節目。お互い精一杯人生の時間を大切に、お互いの力を十分に発揮するために、新しい人生の道へふみだしました。40年間の時間を分かちあいました。

数年後に、新しいライフスタイルの中でもまた出会いにめぐまれた訳です。

ふたりめ子供さんは75歳のときです。やさしい女の子です。しっかりもの。125歳になります。元気にやっています。やはりたよりになるのは女の子。ときどき遊びに来ては、いろいろ話してゆきます。

90歳のころ、子宮の交換をしました。20歳は若返りました。

だいたいの人は、100歳を迎える前に、若返りの手術を受けます。

110歳頃にまた、転機が訪れます。
むかしならちょうど定年退職などを契機にライフスタイルが変わるようなものです。人生余裕が少しでて来るころです。若さにも少しかげりが見られます。

そのころ、ソーラおばあちゃんの人生にとって最後の出会いにがありました。

ふたりめのだんなさんもとてもいいひとでした。40年間の人生の時間を分かちあいました。

その間、胃癌になったこともありましたが、新しい胃をつくってもらいました。

腎臓も交換しました。


三人め子供は、120歳のときに産まれました。男の子。

ソーラおばあちゃんはこの子一番心配なのでー。





2008年7月8日(火)

ソーラとアスカ(37)
「三人目の男の子」

そのころ、ソーラおばあちゃんの人生にとって最後の出会いにがありました。

そして三人めのだんなさんとの間にも子供がさずかったのでした。

三人め子供は、120歳のときに産まれました。男の子。

ソーラおばあちゃんはこの子一番心配。

この男の子は、なかなか頭のいい子なのです。 いろいろなことをよく覚えています。聞いた言葉は忘れません。ちょっと変わった名前でも、横文字でも、中国語系の名前でも、すらすらと覚えます。

「 あれはなんだっけねー、あのー、ほらほら、最近よくテレビに出てくる、あれよわからない。」

みたいなときでも、 「 もしかしたら、それは、マイルドセブンディースペックスーバーライトボックスロングのことじゃないの」
みたいにどんな難しそうなことばでもすっと。

そして、それは、10年くらいたっていてもきのうと変わらないように覚えてます。

しかし、こころが優しすぎるのでしょうか、気を遣いすぎるのか、あれこれと思い悩むタイプなのです。普通なら、そんなの仕方がないことだよ、と割りきってしまうことでも、いつまでも、もしかしたら自分が悪かったのではないだろうか。もっと他に何か出来たのではないだろうかと悩み続けるのです。

話をすると、とてもたのしく、なんでも教えてくれるのでした。

この子は今80歳になります。

この子の歩んだ道は変わっていました。
この子はいつもソーラおばあちゃんのそばにいたのでした。 50歳になるまでー。
ほとんど家から一歩も外にでませんでした。

ところが、50歳になったときに、突然家を出て、学校にゆきました。

いぬいぬ大学で6年まなび、研究室に二年。あっと言間にいぬいぬ大学教授になってしまいました。

ソーラおばあちゃんと同じ仕事につきました。ソーラおばあちゃんの研究テーマももう100年近く前になります。そのテーマを発展させ応用させテーマです。

昔なら、50年もこもっていたら、それこそ人生の時間が少なくなってしまいますが、寿命が延びて150歳は当たり前。

50年くらいこもっていても、別にどうってことはありません。

きっと100年こもっていたが、ある日人生の転機が訪れ、偉業をなすひともこのさき現れることでしょう。

長い目でみること、あせらないことはとても大切なことだとソーラおばあちゃんの口癖。



2008年7月14日(月)

ソーラとアスカ(38)
「150歳の最大の危機がー」

ソーラおばあちゃんの三人めのだんなさん。ソーラおばあちゃん115歳のときに20歳年下。95歳。

でもこのだんなさんは体がちょっと弱かったようで、150歳で若死にしてしまった。
あるいは、あまりにソーラおばあちゃんに恋こがれていたから、なんでも、「 いいよ」と言って、いつもいつもがんばり過ぎていたのかも知れない。

ソーラおばあちゃんもいつの間にか、そんなだんなさんを頼りにして安心しきっていたものだ。

何でも全部、たのしかったし、何にでも夢中になれた。まるで子供ころのようにー。

それもこれもこのだんなさんに見守られて、静かに深く心の平安の中にあったのだと気付く。

ソーラおばあちゃん170歳のときに、このだんなさんは150歳の若さでなくなってしまった。

55年間の人生の時間を分かち合った。

それから早30年の月日が流れたとは、まるで夢のようだ。

あのころはなんでもやりたいことがたくさんあった。あれもやってみたい、これもやってみたい。あの本も読みたい、この本も読みたい。いつでも本がつんであった。 23世紀、本を読むほどぜいたくなことはない。
ふたりで火星にも旅行したい。

しかし、そんなことのすべては、今ではなんの意味もないことに思える。

何をやっても、落ち着かない。自分がやるべきことはこんなことではない気がするし、他にやらなくてはいけないことがあるのにー。すべてはそうだった。


ソーラおばあちゃんは、150歳のときに、大きな危機を乗り越えている。
だんなさんは、そのときもいつもそばにいてくれた。

昔、人間の寿命は140年だろうと言われていた。それは細胞そのものの限界でさるとー。
今では、それを遥かに越える寿命を人類は謳歌している。

しかし、その節目は140歳あたりが体の変わりめになっているようだ。

サーツー、アボエンツーなど、酵母の長生き遺伝子はじめ、長生き遺伝子研究の成果として、ひとつの細胞の限界の壁を人類は越えてきた。
ソーラ&アスカ長生き遺伝子の研究の成果もそこには大きく貢献している。

しかし、体の細胞はそれでいいとして、やはり問題はより繊細な脳細胞なのだ。
ソーラおばあちゃんはこまでおおきな危機をいくつも越えてきた。

心臓を交換し、胃を交換し、子宮を若返りで交換し、腎臓も交換した。

しかし、150歳で訪れた危機は脳細胞だった。





2008年7月24日(木)

ソーラとアスカ(39)
「脳とサイボーグ技術」

ソーラおばあちゃん200歳これまでにたくさんの危機を乗り越えて今こうして人類初200歳のお誕生日を迎えた。

昔20世紀ころヒトの寿命の限界は140歳くらいではないかと予測されていた。それは細胞自体の寿命だと。

しかし、人類はその限界を越えて今人生の時間を謳歌している。
それは、酵母の長生き遺伝子の研究からはじまり、動物の遺伝子のなかから、全てを解析して、相互の関係を解析し、組み合わせ、シュミレーションして、みつけだした。地道な研究の成果なのだ。
もちろんそこには、
21世紀の中場に発見研究されたソーラとアスカの長生き遺伝子(sa2遺伝子)の解析も大きく貢献している。

しかしながら、やはり平均寿命が180歳の24世紀とは言え、この140歳から150歳くらいの間に体の変わり目を迎えるようだ。
もう若くはないと言うことなのだろう。

体を構成している細胞については、培養臓器の技術や遺伝子治療、幹細胞の活用など問題を解決してきた。

脳細胞はまた体の細胞とちがって繊細なのだった。

そのひとがもっともそのひとらしくあるのはやはり脳の細胞によるのだ。

脳の研究では、21世紀に取り組まれたサイボーグ技術がある。現在この技術を応用、発展させて多方面に渡り応用されている。

医療、化学、工業、農業、建築土木、海洋開発、宇宙開発。数えあげればきりがない。

最初は、体を補うために義手を動かしたり、仮の目として解像度の低いカメラの画像を脳の視覚野に投影したりしていた。
義手は、訓練によってだいぶ使えたし、仮の目の映像は荒い粒子の画像を見ることが出来た。闇の中に光が灯るようだと言う。

はじめは、頭蓋骨の中に電極を埋め込んだけれど、もっと安全に快適な外部の電極が可能になった。頭にリングをはめる。リングの360度で脳の電位を受け360度から信号を送る。リングにちいさなコンビュータをつけて解析、操作する。ICチップがさらに集積されたナノテクロロジー。さらに小さく小さく性能を倍数スピードでアップしていった。

最初は、簡単な義手や仮の目だったが、だんだん精度をあげた。反応スピード、知覚のフィードバックスピードなど向上した。

またロボット工学の技術はひと型ロボットの開発に向けて。すばらしい手や足を開発。動力に用いられる人工筋肉も日進月歩で高性能なものにバージョンアップされていった。





2008年7月30日(水)

ソーラとアスカ(40)
「もうひとつのからだ」

ソーラおばあちゃんは150歳のときに大きな危機に直面している。それは脳の危機だった。
むかしひとの寿命の限界と言われた140歳から150歳にかけてやはり体の変わり目で人生の節目を迎える。ソーラおばあちゃんの三人目のだんなさんも150歳の若さで人生を閉じている。

ソーラおばあちゃんの脳をうまい具合いにバランスをとって調整して危機から救ったのは、このサイボーグ技術の研究から産まれた技術だ。

サイボーグ技術は万能細胞が発見された同じころ、21世紀初め、本格的に研究されはじめている。

最初は医学的分野において失われた腕にかわって義手をコントロールしたり、失われた視力をおぎなうために、画素数のごく低い画像を脳の視覚野に投影した。
その技術は産業いたる分野、宇宙開発に応用されている。
いや、サイボーグ技術なくして24世紀の世界は有り得ない。
その研究の過程でいろいろな応用が出来ることが分かってきた。

サイボーグ技術とは、人間の脳をコントロールする技術なのである。また、人間の新しい進化へと繋がる道だったのである。

最初は、義手をコンピューターに繋いで操作していたが、初期型の簡単なコンピューターそのものをちょっとしたコツで直接にマウスと言うのインターフェイスを操作出来てしまった。

また、インターネットと言う初期型のコンピューターネットワークで遠隔操作もできた。

むかし、座禅を組み僧侶が真理を求め瞑想した。

サイボーグ技術は、頭にリングをはめて、カプセルに入り五体の感覚を遮断して瞑想することで、もうひとつのからだを操作した。頭のなかの瞑想は遥かなたの現実になった。

サイボーグ技術の初期、両腕をなくし、義手を自分の体の一部として使いこなし、仕事に復帰した若者があったが、普通の職業に復帰しただけではすまなかった。
しばらくすると、海洋開発チームや月開発チームからオファーがあった。

彼は毎日の生活のなかで両手義手をコントロールしている。義手で顔も洗うし、歯も研く。お箸でごはんも食べるし、お尻だって拭く。
義手の操作で彼にかなうものがいる分けもない。

その腕が海底で地底で宇宙空間でそのまま役立つことがわかったからだ。

ロボットアーム操作の名人も、彼のサイボーグの両腕には到底かなわない。

しかし、サイボーグ技術はもうひとつの原子爆弾、悪魔の科学技術でもあった。





2008年8月6日(水)

ソーラとアスカ(41)
「瞑想のお稽古」

むかし禅の修行僧は瞑想することで真理を探求をした。

サイボーグ技術は瞑想することでもうひとつのからだにリンクした。

頭の中での瞑想は、もうひとつのからだにとっての現実となる。

昔、21世紀の子供たちが、小さなころからピアノやバイオリンを習って、たのしみながら、腕を競ったように、24世紀の子供たちは、小さな頃から、瞑想してもうひとつのからだにリンクさせる練習はをした。これには地道な毎日の練習が必要なのだった。

もうひとつのからだは、重さも身長もそのときの自分のからだの大きさ出来るだけ近いものを使った。
しかし、子供たちは、日々成長する。だからうぐにギャップが出来るけれど、お金もかかるから、ほんとうのからだが大きくなっても、もうひとつのからだは、小さいままの子供がおおいのだった。いつの時代も似たようなことがある。

この瞑想は小さなうちから練習をしないとだめなのだ。歩けるようになり、片言が話せるようになったら、もう二歳のお誕生日前には瞑想を遊びに取り入れる。
親の期待もおおきいのだった。いや、これは、地球政府の期待でもある。

サイボーグ技術は使わない脳の領域を目覚めさせることが出来ることもわかってた。

脳の運動や知覚野では、瞑想からのインプットとアウトプッのフィードバックを投影し、開発される。

たとえば、現実のからだでは聴力が失われていても、瞑想のからだの上では音を聞くことが出来る。
だから聞こえないことで、脳の聴覚野が未開発で終わることはない。聞こえるひとと同じようにその脳の聴覚領の脳細胞を活性化して目覚めさせることができる。

このことは、脳細胞を発達させる上で、新しい可能性を秘めている。


また、現実のからだと瞑想の切り替えが大切なのだ。

実際のからだで使う脳の領野と瞑想で使う脳領野はもちろん共通する部分もあるが、微妙にずれるところもある。

たとえば、実際の身体では聞こえないが、もうひとつのからだでは聞こえる場合には、かなりのズレが生じることになる。

この瞑想は身体的、精神的にエネルギーを消耗する。だから瞑想ははじめはごく短い時間の練習からはじめなければならない。 子供たちは、遊びの中でほんの数十秒間の瞑想をちょこちょこやっている。


なぜサイボーグ技術が悪魔の科学なのか。 どうソーラおばあちゃんの脳の危機を救ったのか。

次回そろそろ。





2008年8月15日(金)

ソーラとアスカ(42)
「脳の新しい機能分化」

瞑想は身体的、精神的にエネルギーを消耗する。だから瞑想ははじめはごく短い時間の練習からはじめなければならない。 子供たちは、遊びの中でほんの数十秒間の瞑想をちょこちょこやっている。

もうひとつのカラダは疲れることはない。
しかし、本体は、身体を動かさずに、瞑想の間じーっとしているわけである。 瞑想のなかで、もうひとつのカラダは、たくさんの刺激にさらされて、いくつもの課題を乗り越えてゆくが、本体は、その間、自律神経の緊張とリラックスをくりかえす。冷や汗だけが流れてはひいてゆく。

長時間の瞑想はからだによくない。
おとなのプロともなれば、10時間を越える瞑想もするが、からだがボロボロになる。中10日のローテーションでないと、寿命が縮む。まる三日は起きてこない。
睡眠カプセルでモニターされつつ、水分、栄養調整を受けながら、身体の自動的運動(寝返りとか)の補助も受けながら眠り続ける。

まあ小学生なら30分の瞑想ができれば、なかなかやるってことだ。

また、もうひとつのからだは、ナノテクロボット工学の進歩でどんどんバージョンアップされた。性能は飛躍的にアップした。

やはりどうせ瞑想するなら新しいカラダの方が快適だ。性能がちがう。

子供たちは成長とともに、身体の大きさに合わせて、もうひとつのカラダを交換する。子供の頃の思い出と新しいカラダを買ってもらったときの印象と、ナノテクロボのバージョンアップの印象は強く誰の心にも刻まれている。

いつしか、ナノテクロボの性能は、本体の身体の機能を越えつつあった。

しかし、子供たちには、本体の機能を越えるカラダは与えられなかった。

感覚器官も身体能力も、疲労の度合も、衝撃に対するタフさも、本体をはるかにしのぐようになってゆく。また自動バランスにより、高く、早く動ける。

そのことは、それをコントロールする脳の新たな使い方を開発させた。

本体では、聞けない音を聞き、本体では見えないものが見えた。本体では感じることを進化の過程の当の大昔に忘れてしまった猫のヒゲのような感覚器官。空気が揺れる感覚や地場の変化する感覚をも感じることが出来る。

サイボーグのカラダとリンクすることでひとの脳は新たな機能分化をするようになった。

それは子供のころからの訓練が必要だがー。

だがそれは、子供の脳にどのような影響し、何をもたらすのか?





2008年8月17日(日)

ソーラとアスカ(43)
「脳の調整機能」

脳は、繊細ではあるが、また、わりとアバウトであることも反面において分かってきた。

子供な脳はカソ性があり、たとえば、昔、手がなくて産まれた子供たちは、足を使って何でも出来た。

足だけで、
顔も洗ったし、おふろも入ったし、ご飯も食べたし、お尻も拭いた。

勉強もしたし、パソコンも使ったし、お化粧もした。

普通は脳の運動野は手や指を司る部分が足よりも圧倒的大きい。

しかし手のない子供たちは、脳の運動野の機能分担が、足を司る部分が一般的な場合の手を司る部分と同じに圧倒的に大きかった。

脳の機能分化は、産まれたときから決まっているのではなく、産まれたあとの環境によってある程度、変化することが言われていた。

人間の子供がジャングルに置き去りされ、狼によって育てられ奇跡的に生存していた。その子供は、しかし、人間にはなつかず、すでに狼そのものだった。
身体の使い方も。指の機能も。
しかし、普通考えられない早さと力強さで動けた。人に感じることが出来ない六勘が働いた。

この狼人間になってしまった子供の脳の機能分化を調べると、普通は働いていない大古の昔に退化してしまったと考えられていた脳の領域が大きく発達していた。われわれは狼人間になってしまった彼女を哀れむが、彼女からすれば、それで幸せなのだろう。

また、聴力に障害を持つ子供の聴覚野や視力に障害を持つ子供の視覚野もまったく働かないか、十分な発達がなかった。
成長してから、何らかの方法で聴力や視力を回復させることが出来たとしても、すでに、聞くことも、見ることもできないのである。

どうもこのことから、脳の機能分化、子供の脳のカソ性は2歳前にほぼ決まるようだった。

サイボーグのカラダは脳に新たなインプットをもたらし、子供のころから、その刺激を受け入れ育ってきた子供たちにはこれまでとちがった変化が起こり始めた。


しかし、24世紀においては、成人であっても、脊髄幹細胞や胎児の進化分化ホルモンの応用で脳のカソ性をひきだし、脳の機能分化をかなりの程度書き換えることができるのでようになったのである。
脳の学習と再構築によるあらたな機能分化の獲得が可能になった。

脊髄幹細胞と胎児の進化分化ホルモンを定期的に投与しながら、新しい機能、いや能力と言うべきか、をもったもうひとつのカラダでのサイボーグ瞑想の猛特訓を続ける訳だ。





2008年8月30日(土)

ソーラとアスカ(44)
「まるで別人になってしまったようでー」

どうも、脳の機能分化は2歳前にほぼ決まるようだった。

サイボーグのカラダは脳に新たなインプットをもたらし、子供のころから、その刺激を受け入れ育ってきた子供たちにはこれまでとちがったあらたな変化が起こり始めた。

しかし、24世紀においては、成人であっても、骨髄幹細胞や胎児の進化分化ホルモンの応用で脳のカソ性をひきだし、脳の機能分化をかなりの程度書き換えることができるのである。
脳の学習と再構築によるあらたな機能分化の獲得が可能になった。

骨髄幹細胞と胎児の進化分化ホルモンを定期的に投与しながら、サイボーグ技術の新しい機能、いや能力と言うべきか、をもったもうひとつのカラダでの瞑想の猛烈な特訓を続ける。

ただでさえ、瞑想は体力を使う。脳の覚醒を強く引き出し、骨髄幹細胞や胎児のホルモンを投与されて瞑想の訓練を集中的に受ける訳だ。
脳内の激しい変化は睡眠を必要とする。
また、普通の覚醒レベルでは、すぐに脳が疲労して眠りに入りたがる訳で、それで覚醒を強くうながす薬剤も使う。

だから極端な話、瞑想以外の時間はカプセルの中で寝ている。寝ると言ってももう半端ではない。一気に三日は寝ている。それもぐっすりと、恐ろしいくらいに深ーーく眠っている。

覚醒時間も恐ろしく長い。瞑想の時間は普通の三倍、四倍の覚醒時間に換算できる。
一回の訓練で10時間も瞑想すると言うのは普通なら二日、三日の徹夜仕事の様なものだ。

だから、新しいサイボーグの身体に適応するための脳のカソ性を使った瞑想訓練プログラムは、三日覚醒して、三日は眠るといった睡眠サイクルになっている。

わずか半年。

まるで脳は、新しい学習課題を電気掃除機で吸い込むみたいにすごい勢いで吸収してしまう。
まるでハードディスクのプログラムを書き換えるみたいにー。

それは、特訓とか学習というような生やさしいものではない。 まるでひとつの大手術みたいだ。むしろ身体にたいする侵傷の度合いは大きい。

24世紀にあって外科的、物理的な手術と言うのはある意味たやすい事なのだった。
目にみえない科学的な、あるいは遺伝子的な、また脳のカソ性的な手段こそがひとの身体に対する重大な、治療なのである。

親しい友達が、脳のカソ性瞑想訓練プログラムを受けた。どこか別人になってしまった感じ。懐かしさの分量が減ってしまったようで少しさびしい。




2008年9月13日(土)

ソーラとアスカ(45)
「まるでタイヤのボルトをしめるみたい」

サイボーグ技術は脳の新たな使い方を人類にもたらした。
脳は繊細でありながらアバウトで逞しくもある。
たとえば、昔、分裂病、または統合失調症と言われた精神の病は、脳の働き方のバランスの乱れと考える。
ある一部の脳の部分が片寄って活動してしまい、電位が高い。
だから、その部分の脳に抑制電位を送ってダイレクトに活動を抑える。
また、別の部分を数ヵ所まんべんなく刺激して脳の他の部分の活動をうながす。
それを続けてゆく事でバランスよく脳が働くようになり、脳の活動の分裂状態、コントロールの失調状態は克服可能である。

それはまるでタイヤをシャフトに取り付けるときに、八本のネジを対角線上にバランスよく締めてゆき、ひずみが出ないようにしっかりと固定してゆく作業に似ている。

抑うつ状態の脳も、ハイテンションになってしまった脳も、このボルト締め作業のような脳のチューニングによってよいバランスにもどすことが出来た。

そんな簡単なことで、これまでなおすことができなかった心の病、不治の病が治るとは、信じ難いところではある。
がしかし、複雑そうに見える現象の本質が大変シンプルな公式で表現されることがあるように、脳と言う不思議な複雑な存在の一側面はこのようにシンプルなのだ。

ソーラおばあちゃん、人類の個体としてはじめて200歳を迎えた、輝かしい記録のおばあちゃん。

150歳のときに迎えた最大の命の危機は脳だった。それを救ったのは、このようなサイボーグ技術から産まれた脳のチューニング技術だった。

しかし、脳の生命力は不思議なものだ。 分裂病が脳の一部が片寄って働きバランスを失った状態と言ったが、そのきっかけとなったことがやはりあるのである。 いくらチューニングしてみたところで、脳本体に核となる生命力がなければやはり、一時的な効果に終わってしまい、以後ずっと継続してチューニングを続けてゆかなければならなくなる。

ソーラおばあちゃんの脳の深い場所には、三番目の旦那さんの献身的思い遣りの気持がある。生きてほしいと強く願う気持がある。愛がある。脳科学の技術と言えども、その思いこそが病を治す力なのだった。
ソーラおばあちゃんの150歳の最大の危機、脳の危機は去ったのだった。

そうして、今こうしてソーラおばあちゃんは人類史上はじめて、200歳を迎えている。





2008年9月18日(木)

ソーラとアスカ(46)
「悪魔のサイボーグ兵器」

サイボーグの技術から産まれた副産物として、脳の一部に電位を与えてその部分の脳を働かせたり、鎮静させることができたり、それを脳全体に万弁なくほどこすことによって、脳のバランスをチューニングして、分裂病(統合失調症)やうつ病などを治すことができる。

逆に言うと、どこも悪くない脳であっても、サイボーグインターフェイスのリングから、あるプログラムの電位をながせば、とても静かでありながら、ハッピーな気分になれる。
昔の僧侶が長い修行の上にたどり着くことができる、そんな静けさの中にあるやすらかな平常心。

もう、タバコもお酒も、麻薬さえ、いらないって感じだ。

また、人間もパブロフの犬と同じように条件反射的側面がある。ベルがなればエサがもらえる。

異常なところがない脳に、サイボーグインタフェスのリングからまたある種のプログラムを送れば、 あるものや人に対して好きになったり、嫌いになったりする。
たとえば、あこがれの彼女にこっそりとそのプログラムを送れば、彼女は、あなたのことが好きになる。
そんなことが出来てしまうのだ。

当然そのようなことはフェアではない。法律によって固く禁じられている。

しかし、このことはそんなささやか個人の夢に悪用されるだけではすまない。

国家にたいして、好意的な気持がをもたせることも出来る。
また、敵対国に対する強い敵意を抱かせることも出来る。

だから、自国を守るための軍隊を集めるなどは、もともと正当性がある訳だし、何もしなくても、それこそけっこう集まるのだろうから、そのためのプログラムを一回だけでもちょいと送り込めば、
大変な数の有志があつまる。

また、もしそれが、敵対国への侵攻のための軍隊であったとしても、そこにはすべての人心を納得させるのに足る正当性がなかったとしても、まるで人の家に土足で上がり込むような侵攻であったとしても、現人神(あらひとがみ)も教育勅語も赤紙も必要ない。
そのためのプログラムを繰り返し送り続ければ、すべての人たちがサイボーグ兵器の兵隊となって侵略戦争に自ら進んで志願するように仕向けることが出来てしまう。

サイボーグ技術の副産物、人の気分感情をコントロール出来るだけでなく、ひいては思想をも支配してしまうことが出来てしまう。

だから、サイボーグの技術は、核兵器と並ぶ悪魔の科学技術と呼ばれるのである。





2008年10月2日(木)

ソーラとアスカ(47)
「脳医者」

また、脳の問題は、認知症とか、痴呆症と言われる病気がある。

むかしは、大変恐れられていた。今では何とかコントロール出来るけれど、なかなか大変。

脳の血流が低下して、あちこちで小さな脳梗塞を起こして、それが積み重なった結果脳の機能が低下するタイプは、脳の血管を若々しく保てば問題解決。

脳細胞そのものに原因がある訳ではない。脳の血管や循環、身体の全体の若さをたもてばよい。脳固有の問題ではない。

このタイプは、シンプルではあるが、さすがに150歳を越えてくるとなかなか上手くゆかない。150歳と言うのは、細胞の遺伝子的ひとつの曲がり角なのだ。脳細胞に限らず身体に全体の細胞の問題でもある訳だ。

しかし、長生き遺伝子を取り入れた、遺伝子治療で身体の細胞、当然脳の血管の細胞も含まれるが、を若く保つことが出来る。まあバランスを取りながらコントロール出来ると言うことだ。

また、小さな脳梗塞が積み重なってあちこち脳の細胞が傷ついている場合には、
脳の幹になる細胞を利用して減ってきた脳細胞を復元して増やすことも出来る。

脳がダメージを受けて減った部分は脳が縮んで薄くなってる。脳細胞を増やして厚みを持って全体にふっくらとまあーるい形にみすみずしく豊かに充実しているのがいい。

薄くなった部分はほっておくと脳全体の形がいびつになってよりいっそうバランスを崩して、脳の働き、活動性の効率を低下させてしまう。

ふっくらとまあーるい感じ、これだ脳の理想的な形なのた。

さらに問題は、アルツハイマーと言われたタイプの痴呆症。脳の神経細胞がアルツの細胞に置き換わってしまう。
このアルツ細胞はなんなのかとまず研究がなされ、脳細胞が死んだ結果として残されるみたいで、アルツ細胞が現れるから脳の細胞が死ぬ訳ではないようだ。

脳の細胞がなぜか、身体の細胞の寿命よりも随分と若い段階で死んでしまう。

脳の血流に問題がないのに、なぜ脳の細胞だけが、細胞がまだ若い段階で、突然弾けてひとつひとつ死んで寿命を向かえてしまうのか。

大概は、元気のない細胞は、脳細胞であっても、幹細胞と胎児のホルモンでまた元気になり、死んで消えてしまった細胞までまた作り出してくれるものなのだがー。
アルツの脳細胞はどうにも元気が出ない。

どんどん弾けて死んでしまい、アルツ細胞だけが残される。





2008年10月6日(月)

ソーラとアスカ(48)
「やくざな脳医者」

アルツはヤバイ。

24世紀の世の中、人類は200歳までだって生きられるんだけれど。

まず、アルツの遺伝子を押さえ込むために遺伝子レベルのバランスをとることが何より大切だ。そこから遺伝子治療がはじまる。

ところがこのアルツの遺伝子。
これが、かなりひねくれてしまっている。
なんでこんなにひねくれてしまっているのか。

ご機嫌をとってみたり、励ましてみたり、バランスをとるのもたいへんだ。

もうものすごく不安定。

これじゃーあっと言う間にパーンと弾けて崩壊してしまうのも無理はない。

ここまでひねくれると、返ってもう感心して、しばしみとれてしまう。

あまりのひねくれ遺伝子に、感心してもいられない。

なんとしても、遺伝子を安定化させるためにバランスをとらなくては。

そうしなければ、脳細胞ははじけて消えてしまう。
あとにはアルツ細胞だけが残される。

バランスをとるには、10本ボルト方式がすぐれている。

この方式はサイボーグ技術での脳のチューニング方法でも使われている。

人類にとっての大発明と言われているわかりやす、しかも奥の深い高度なコントロールのための、方式で、ノーベル賞も受けている。

ものごと大変重大なことがらほど、たとえそれがひとの命に関わる場合でも、その方法は分かりやすくてシンプルであるべきだ。重大であればあるほどシンプルな方がいいのです。

10本のボルトを上手に締めて、しっかりとタイヤを軸に取りつけることができれば、成功。

命が救われるのです。

遺伝子がひねくれた形に戻ろうとするので、いつも気を付けてボルトの調整を続けなければなりません。

普通の遺伝子治療なら一回しっかりとボルトを締めておけばタイヤが軸から緩むことは、そうそうありません。1年2年は大丈夫。

しかし、このアルツ遺伝子は1週間に一度は監視が必要だ。
すでにボルトが2本3本緩んでいることがある。

まあ、アルツは、遺伝子治療の医者泣かせ。

でも元気でいるみんなの顔をみれば泣き言は言わない。

まあ、それでも、油断すると、脳細胞が少し減ってしまうことがある。

脳細胞か減ると脳がいびつになる。これはさらによくない。
脳と言うものはまあーるくまあーるくあらねばならない。

脳が減ったら大変。 そこで脳医者が登場。だいたい脳医者はやくざな商売だ。

最近マッキーさんはー。





2008年10月12日(日)

ソーラとアスカ(49)
「脳の補強」

24世紀にソーラおばあちゃんは人類で初めて200歳の長寿を迎えギネスブックに登録された。

その時代、脳医者がいた。

マッキーノさんは、何故かその時代、やはりソーラおばあちゃんとどこかでめぐりあっていたのだった。

因縁と言うものだろう。

20世紀に生きたソーラとアスカ、マッキーさんたちの子孫が直接的に繋がっているのか不明だが、確にこのメンバーは、生まれ変わりまた出会うのだった。

21世紀の中頃。
まあーあの頃は、平均寿命も100歳程度だったが、300年の月日が流れ、科学進歩して、24世紀、平均寿命は180歳。
と言ってもさして驚くひともない。


マッキーノさんは、最近ちょっと物忘れがある。

100曲ほどギターのレパートリーはいつでも弾けるのに最近ちょっと忘れる。

海馬あたりの脳がちょっと縮んだかも知れない。

脳医者に行ってみようかな。

この時代、脳医者は脳を知り尽したプロ。そう簡単に国家資格を得ることはできない。唯一脳の移植を許されている。

この時代、サイボーグ技術の瞑想を若いうちから強いられるので、いくらからだが若く保てても、ほとんどのひとが脳そのものが疲弊してくたびれて来るのだった。

こんなことは、21世紀の昔には有り得ないことだった。

もちろんアルツになっても脳は少しずつ減ってくる。

それらを唯一解決出来るのが脳医者だ。

油断すると聖職でありながら、足元をみて金をふっかけて来る。

移植用に良質な脳を使っているといいながら品質を偽装したりする事件もあとを絶たない。


へい、いらっしゃい。
今日は、ようこそおいでになりやした。

そうですかい。
もの忘れ、楽譜みないで弾ける曲が100曲あるのにー、99しか思い出せなかったでやすか。

そいつぁー、えらいことでやんしたねー。
いやーまったく。 まいりやしたねー。大事件っと。

わかりやした。
まかしてくだせー。 ちょちょいのちょいとお治しいたしやしょう。朝飯前ってなもんですよ。お茶のこさいさい、へのカッパ。

ちょいと盛っておきやしょう。
海馬あたりー。 あとは、まあー、てっぺんあたりいきやしょうか。
まあー、てっぺん盛っときゃー、まちがいねー。いいあんばいだー。
だんなさん、まかしときなって。なんも心配いらねーって。
うちとこのは、生きがいいんでやんす。 そこらの脳味噌と訳がちがわーな。






2008年10月25日(土)

ソーラとアスカ(50)
「グラサンじいの脳医者にめぐりあう」

わかりやした。
まかしてくだせー。 ちょちょいのちょいとおなおしいたしやしょう。朝飯前ってなもんですよ。お茶のこさいさい、へのカッパ。

ちょいと盛っておきやしょう。
海馬あたりー。 あとは、まあー、てっぺん(頭頂葉)あたりいき(脳移植)やしょうか。
まあー、てっぺん盛っときゃー、まちがいねー。いいあんばいだー。

だんなさん、まかしときなって。なんも心配いらねーって。
うちとこのは、生きがいいんでやんす。 そこらの脳味噌と訳がちがわー。

だんなさん。
ところでーー、
まあなんですねー。 ソーラ系とアスカ系、どちらになさいますか。


あー、いや、なんでもござんせん。
いやー、いいんでやんすよ。まかせておきなってこった。


へっ、なにっ。
気になる。
ちょっと気になるって。

まーー大してかわりゃしません。
ふたつあるから気になるんでやんす。

最初から一つしかなけりゃー、迷わないってもんでやんす。

なんでですかねー、世の中ってものは、必ず、ふたつあって迷うように出来てるんでやんす。

これが不思議とかならずふたつ。

たとえば、
すっとそこに美人がいる。
こりゃーすげーなーって思っていると、
そう言うときに限ってまた、こう、すっと違う美人が現れるんでやんすねー。

それで迷っちまって、いつの間にか訳わかんなくなって、ふと我に返ってみれば、かわいこちゃんはふたりとも、もういなくなっちまってる。

まあ、そう言うもんでやんす。

だんな、こういうのは、まよっちゃいけねー。

迷っている暇はないんでやんす。

いくら時間をかけて迷ったとしても、決めきれるものじゃーありやせん。

ふたつの違いだー。
けっしてそんなこたー聞いちゃいけねー。

ヤボってもんですよ。だんな。


さあー、だんな。
どちらになさいます。

あっしにまかせていただけますかい。

ソーラ系とアスカ系それぞれになかなかいいとこがあり、また、くせも多少はあるもんでやんす。

だんな黙っちまってー。
こんなに汗かいて。

どしたい、だんな。さあー、どしたい、だんな。

さあっ、さあっ、だんな。

なんとか言わねーと分かんねーよ。

いったい、どうしたいんでー。

たかが、脳味噌ちょいと盛るくれーで、うじうじしやがってー。

どうしょーもねーなー。





2008年11月10日(月)

ソーラとアスカ(51)
「決断」

だんな黙っちまってー。
こんなに汗かいて。

どしたい、だんな。さあー、どしたい、だんな。

さあっ、さあっ、だんな。

なんとか言わねーと分かんねーよ。

いったい、どうしたいんでー。

たかが、脳味噌ちょいと盛るくれーで、うじうじしやがってー。

どうしょーもねーなー。

もう150歳にもなんだぜ。ガキみてーに、おとなげねーことを言わねーでくだせーよ。

かんべんしてくんねーかなー。

まいったね、こりゃ。
いやー、おどろいた。


だんな、だーんーなー。ちょいと。


ー・ー・ー・ー・


おっ、

わかったって。

ほー。

あっしに、、、
まかせるってか。

おーおー
そうこなくっちゃーいけねーや。

ソーラ系の脳味噌にするって。

いーねー、いーねー。そいつぁーいいやー。

何っ、
よくわかんねーけどー、
似てるって。
このあっしがー、似てる。
誰かに似てる気がするってかい。

ほー、そうかい。そうかい。
まーーーきっと、そんなこったろーなー。
あっしもね、だんな見たときから、なんか、ほっとけねー気がするんでー。
不思議なもんだな。 だんなもそう思ったのかい。ほーー。
まあなんだね。縁ってもんだろーな。

よーーし。
そんじゃー話は早えーや。さっそくいくぜ。だんな。

まかしときねー。ソーラ系脳味噌一番いいとこ、オオトロ、
特大大盛り、大サービスでい。

さあいくぜー。だんな。
この感じ。たまんねーなー。
ガハ、ガハ、ガハー、
ガハハハハー。
ガッッハハハハハー


グラサンじいに似た彼のサングラスがキラリッと一瞬光った気がする。
天賦の才に恵まれたもののみが許される脳医者の称号。紙一重の天才たち。

彼は、今、ものすごくやる気満々の科学者モード、脳医者モードに入ったようのだった。

つるつるの坊子供頭になって、裸になり、全身を洗浄され手術を受ける病衣になりピットコックみたいな椅子に深々と身体を沈める。

鼻唄まじりにじいはつるつるの頭に後ろからコントの様なものでラインを引いている。

まかしときねー、悪いようにはしねーよ。

この感じ。たまんねーなー。
ガハ、ガハ、ガハー、
ガッッハハハハハー

だ・ん・な・・・ー。


そんなグラサンじーによく似た脳医者の声が遠くなり、すなわち意識が暗くなって行った。

ー ー ー。





2008年11月12日(水)

ソーラとアスカ(52)
「何故かさつまいもがたべたい」

目が覚めたとき、気分はさわやかだった。

グラサン脳医者は、やさしげな微笑みを浮かべて、顔をのぞき込んでいた。

よっ、だんな。気分はどうでー。

ずいぶん前から知っているような気がする。このひとの言うことはすべて信じなければいけないような気がする。

ある意味、脳医者はもうひとりの産みの親のような存在だ。

ワタシハヒヨコ
ワタシハヒヨコ
ワタシハー、
  ヒ ヨ コ

この世界に頼るべきは彼しかいない。

これが話に聞くインプリント現象なのだろう。
そんなことに目覚めたばかりのマッキーノさんは気付くはずもない。

また、実際、グラサン脳医者にとってもいつもの症例以上に、特別に大変やさしい気持ちで見守っていたのである。

いったいどのくらい時間が過ぎたのだろう。脳医者を訪れたのがつい数時間前のようにも思うし、もう数年前の出来事だったような気もする。

考えてみようと言う気にもならない。しかし、それでいいような気持ちだ。


気分は悪くない。 ゆっくりおきあがってみたが力が入らない。ヨロヨロと起きようとすると、フラフラ目が回る。

グラサン脳医者がボタンを押してくれてベッドの背がゆっくり持ち上がる。よりかかってないと起きていられない。でも起きると眺めがいい。天井でない視界が広がった。

足を組んで穏やかに自信に満ちてすわる医者の姿が見える。
うまくいったぜ、だんな。もうバッチグーよ。最高の出来栄えだでー。

だんだん頭も回ってくらーな。しばらくすりゃー、だんな、もう冴えちゃって困るくれーだ。前より頭がよくなっちまったかもな。 いろいろ気付いちまうってのもな、案外苦労なもんだぜ。ちょいと良くしすぎたかも知んねーなー。

ガハ、ガハ、ガハハハハッ。
おっと、すまねーな。
ガハ、ガハ、ガハハハハッ。 ガハハハハッ。

グラサン脳医者は大変に機嫌がいいようだ。

何っ、どうしたいって。

腹が減った。

おう、そうこなくっちゃーいけねーや。
まあ、今はな、ぼちぼち、こんなもんしか食べられねーけどな。

何か、

さつまいもが食いてーってか。

あーー、

やっぱり、だんなもかい。

ガッハハハハーッ。
ちゃんとさつまいもテイストのペースト治療食が出てきた。元気になったら、早く、本物の焼きいもをむさぼり食べたい。

何故かそんなことばかり考えてしまうのだった。





2008年11月17日(月)

ソーラとアスカ(53)
「脳だけ人間」

ソーラとアスカがミニダックスであり、マッキーさんちのベランダでのへーと昼寝をして、こっそりテレパシーを使っていた頃。2000年。

そして300年、人類は200歳の長寿を得る。ソーラおばあちゃんの名前は歴史に残る。

2500年脳の移植手術が当たり前に行われる。マッキーノさんがグラサンじいにそっくりな脳医者に脳を移植してもらった頃。

そしてー、さらに500年の月日が流れていた。

BC3000年。
この頃になると、さらに人類にとって画期的技術が産まれていた。

マキアスは、250歳の岐路に立っていた。
3008年11月21日。誕生日を迎える。

人類は、今や300歳の寿命を謳歌するのはあたり前。

しかし、せいぜい350歳まで。それ以上はなかなか生きられない。

脳を移植してもらっても、身体の部品をいくら換えてもらっても、いくら性能のよい人工心臓や人工の肺をつけてもらっても、遺伝子をいじってもらっても、もうどうにもこうにも身体がいかれてしまい、もう土台がもたない感じだ。

アスカおばあちゃんが人類ではじめて、400歳を向かえた。

それは確に記念すべき記録で、ギネスブックにも載った。30年ほど前のことである。まあギネスブックに人類最高長寿400歳と載った訳だがー。

実は、この頃になると新たな研究成果が報告されていた。

実は、もっと長寿の人がいたのだった。

そのひとは、どうにも身体がいろいろな治療技術に反応しなくなり、本人の意向もあり、脳だけを保存して生かし、冬眠の技術を使って眠った状態にある。

その状態で70年ほどになり、現在420歳。
だけど脳だけー。
しかしながら、培養槽の環境技術、脳旬間を支える四本の人工血管による栄養供給循環システム、冬眠技術、そして定期的に送られる刺激環境が完璧で、大変に状態がいい。

この状態でときどき与える刺激に対して反応がよい。冬眠装置のサイクルによって脳が目覚めるサイクルは地球の自転ではなく月のサイクルに合わせてある。満月のころに三日間ほど続けて目覚めている。またそして一ヶ月間眠る。

脳が目覚めているてきにサーモグラフィンや脳波やその他電気活動を見てみる。
すると活発な活動が確認出来る。

サーモグラフィンは赤々と各部分が入れ替わり立ち代わり、あるいは同時に大きく、いるいは、静かに小さく灯もり、またたく。まるで美しい奇跡のイルミネーションのようだ。





2008年11月18日(火)

ソーラとアスカ(54)
「奇跡のイルミネーション」

培養槽にうかぶ脳。 月の周期で覚醒サイクルが設定されていて定期的に刺激電位が与えられる。

サーモグラフィンや脳波計は活発な活動を確認している。そのサーモグラフィン画像の様子は、まるで美しくめい滅する奇跡のイルミネーション。

この脳はイキテイル。

この人?はイキテイル。

この脳の持ち主はショボーン氏。
350歳のときに身体の活動がどうしてもコントロールしきれなくなり、崩壊したが、そのとき本人の希望とその財力のすべてを投じて、この脳だけ保存の道を選んだ。

ショボーン氏の脳。
活発に活動しているというよりはー、

どうも、かなりゴキゲンのようだ。

あるとき、脳が覚醒している満月の夜に、試しにー、
サイボーグリングに繋いでみる。

大変リラックスした様子で、月を見ながら寝転がってみせたり、鼻唄をうたったりして見せてくれた。

その後もときどきサイボーグリングにたないでみると、だいたいいつも変わらない。
癖なのか、

ありゃー、まいったなー、どうしよう、どうしよー、

と言いながらカリカリっと器用に背中に手を回して掻いたりする。

面倒臭いのか、覚醒しているはずなのに、カラダを動かしてくれないときもある。
生前セイゼン?さんざん瞑想はやって来たし、あきあきして、瞑想に疲れるのかも知れない。 まあ、めんどうくさいようだ。

なんか、気まぐれ。たのしんでしまってるみたい。
だいたい、もともとがせっかちで動き回るタイプだったと聞くが、まさにここに来て、その反動がでたのかも知れない。
きっとショボーン氏にすればはじめて気がおおきくなっているのかも知れない。

まさに、これぞ、
ゴクラク。


このショボーンさんが生きている と言うことであれば、世界最高の長寿記録は420歳と言うことになる。
そしてそれは記録は、今まさに、このガラスの培養槽のなかで更新中なのだった 。

アスカおばあちゃんの400歳のギネスブック記録も色褪せてしまう訳だがー。

でも何せ、身体がなくて脳だけだからなー。

さすがの31世紀の世の中にあっても、この事実は、困惑と戸惑いを人々にあたえた。議論をよんだ。
脳優先の思想ではある。しかし、からだがまったくない状態と言うのもちょっとアンビリーバボーなのだった。

たとえば秋のファッションにしても、ナイスプロポーションにしても、脳だけだと上手く表現出来ない。





2008年11月18日(火) (二話同じ日にアップ)

ソーラとアスカ(55)
「産地限定、地球産の『脳だけ人間』」

脳だけ人間の研究は、ショボーン氏のケースがきっかけになって、その後本格的になった。

脳だけになることで、脳はバランスを崩す。肉体から離れることで大変に不安定になる。

それは、たとえば、植木鉢の花と土を切り離すようなものだ。土がなければ、花は生きられない。

鮭と言う魚も、ふるさとの川に必ず戻ってくる。
人には産まれ故郷があるように、何でも、何にでも、よりどころ というものがある。

身体を離れた脳は、糸の切れた凧のように、よりどころ を持たない、あやうい存在である。

だから脳にとってある期間、身体は必要だ。充分な時間をかけ、たっぷり自身の身体から、感覚の恩恵を浴びるほど受けるべきである。

ひとがひとであるために、母なる愛が必要だ。
母なる愛に支えられ、周りの世界を受け入れ、あるときは立ち向かうことも出来るようになる。そのように子供は大人になる。
そして、今度は自分が母となり愛を与えるときが来る。そのときはじめて愛の意味を知ることになる。
そして、自らが愛となり、ふるさととなる。

脳だけになっても、やらなければならない仕事がある。
脳だけになってはじめてできることがある。
脳だけでなければ出来ない仕事がある。


研究の過程で、脳だけ人間の可能性と役割がだんだん明らかになってきた。

また、人類がこの時代から抱えていた問題の解決策の可能性がどうも、この研究のさきにあるのではないか。と言うことが結び付いてきた。

すなわち、最初戸惑いを持って迎えられた脳だけ人間は、実はー。

なんと言うべきかー。

おお、神よ、
許したまえー。

脳だけ人間はー、

脳だけ人間はー、

人類の未来にとって、

必要だ、必要だ、必要だーー、

と言うことが解った。

誰かが脳だけ人間はになってくれさえすれば、人類は、一歩前に進める。

言い換えるならばー、
誰かがー、
脳だけ人間にー、

ならねばー、ならねばー、ならねばー、
ならないのだった。
身体のない、たくさんの管につながれて、ガラス培養槽にふわりと浮かぶ、月の夜に目覚めては、不気味にめい滅する光を放つ、あの姿にー、

あなたが、ならなければならないかも知れない、と言うことになる。

それは、まさしく、耳を覆いたくなるような、結論なのだった。

やめてくれー、と叫びたくなる。





2008年11月19日(水)

ソーラとアスカ(56)
「脳だけ人間の必要性ー31世紀の世界」

31世紀。温暖化の深刻さ過去に知ってる人類は、最大限それとたたかってきた。
温暖化によって21世紀の昔に比べれば、海面の水位は1メートル以上上昇してしまった。
日本と言う国も今は、世界がひとつの政治体制にあるので、ひとつの地域の地名として残っている。 海に囲まれた地域で海面の水位が1メートル上がったことで、生活可能陸地の面積が半分くらいに減ってしまった。もうそこらの中途半端な島は海の中に沈んでしまった。

作物を作る面積もへった。とはいえ、畑でも田んぼでもまあ高層ビルの中に組み込まれたユニットになっている。

ガソリンなどの化石燃料は、とうの昔に使われなくなった。水素電池になり排気ガスもなくなったのは、はるか昔にのこと。

エネルギーシステムは、太陽からの光を高い効率で電気に変換したり、自然のエネルギーとパワーを驚くべき方法で電気に変換している。

雷エネルギーは利用不可能と思われたが、今では、積乱雲が発生するのを発見すると、電力会社のスタッフとそのシステムがはりきって追い掛けはじめる。

よーし、一発ドカンと来ーい。

一発雷の電気をゲット出来れば、都市の一日分くらいに使える。
でも、さすがに地震エネルギーは難しい。

また、光合成ユニットもさかんに使用されていて、ビルも車も電車もみんなみどりを基調とした色であり、ソーラパネル方式では取り出せない光エネルギーを活用している。

砂漠はほぼ全面が緑化されている。砂漠に植物を定着させるは根気が必要だ。
それこそ100年単位の計画で、砂漠の周りのから少しずつ緑化して、だんだん砂漠の中心に迫って行く。気の遠くなる仕事をコツコツ積み重ね、点滴方式で水を最大限効率的に利用してゆく。
世界が統一され、平和であればこそ。
世界の技術と財力を砂漠緑化に集中できたことで、人類と地球を救うこの偉業が成し遂げられた。結局500年近くかかったのではないだろうか。

今の世界、木を不法に伐採すると言うことは、ひとの命が300年のながきに渡る大切なものであったとしても、死刑にあたる大罪だ。

しかし、そうして、環境を守り効率を追求しても、31世紀、世界の人口は300億人を越えている。

人いきれだけでも地球の温度が上昇しそうだ。酸素の消耗もばかにならないし、300億の人間たちが発生させる二酸化炭素も温暖化を促進させる脅威である。





2008年11月24日(月)

ソーラとアスカ(57)
「やけに込み合う」

なんせ、人間の寿命は今や350歳。
自覚として自分がそんなに長生きをしていると言う想いもない。

この時代、みんなが平均350歳までは生きている。自分だけが特別に長く生きて、人口爆発に影響を及ぼしているとは夢にも想わない。

しかし、1000年前には地球の人口は60億くらいだった訳で、その頃の寿命はまあ85歳くらい。
まあ、31世紀の世の中から見れば、なんてはかない人生だろう、と気の毒でならない。時代の価値観で、21世紀の人たちにしてみれば、それでやむなしと思えたのでしょう。
と言っても、仕方のないことだけど。

寿命が延びるにつれて人口が増えてきた。一部の進んだ文化圏では、出生率は低下したが、反面発展途上の地域では爆発的に人口が増えた、しかし、やがてそれも落ち着いてしまう。
ばーんと一気に増えて横ばい、さがりぎみ。

しかし、寿命がのびたから、そこからじわじわと増えた。

まあ、人口は300億となり、地球もだいぶ込み合って来た。

エネルギーシステム、食糧供給システム、二酸化炭素コントロールシステム(地球緑化&酸素発生) はなかなかうまく行っている。

地球環境を守り、自然保護、種の絶滅防止のために、世界の統一のみんなの政府は、その対策を考えた。

これは世界みんなの政府のスーパーウルトラスペシャルデラックスコンビュータが弾き出した結論。

意外なものだった。
不満がだされた。それで念には念を入れて何回も計算し直してみたけれどー。

この結論に間違いはなかった。

人間を閉じ込めないとちょっと無理ですね。
とコンビュータは言うのだった。

自由に世界中をとびまわらせたのでは、金儲けが必ずからんで、結局は、いじくりまわして壊してしまう。

世界遺産とか名前が着いたとたんに、結局は、その大切なものを、人類は、みんなでもの見うさんで、大勢で押し掛けて、寄ってたかって、いじくりまわして、結局は、ぜんぶ壊してしまった。

子供の手の届かない高いところに、大切なものや、危険なものを置いておくように。
とにかく人間の手の届かないところに大切な地球の自然を置かなければならない。

自然保護地域をきめるのではなく、逆なのだ。
人間が活動してよい地域を決めた。

地球環境の保護に関する法律は最優先され、世界みんなの政府の権力と威信のすべてをかけて守られた。違反するものは、厳しく対処された。





2008年11月25日(火)

ソーラとアスカ(58)
「もうひとつの解決策」

自然を囲って人間が立ち入らないようにする。それではあまい。

地球世界みんなの政府の出した結論、それは人間の方を一定の地域に囲ってしまわないとだめだね、っと言うものだった。

そんな訳で、人の住む地域は大きな巨大な風船でおおわれた。この半円の風船は、完全に空気の流れを遮断するものではないが、廃棄ガスなどは外に出にくい。
巨大な半円ドーム内の空気はドームの中でだいたい循環タイプと言ってよい。
また熱の発生も一応ドームの中で、対処する。油田などの炎は瞬間で消さないと大変。ドーム内の温度があっと言う間に上がってしまう。
そんな訳でドーム内容の熱元や化学反応など厳重に管理、監視されている。

そこまでしないと、地球の温度が上がってしまうのだ。

人間たちの活動によって生じた二酸化炭素と熱はドームの中で解決しなければならない。循環システム。

この空間ドームユニットはまあ大小あるが、その中には、100万人〜1000万人の人が生活する。

空間ドームユニットの間隔は厳密。その直径の10倍の直径がひとつの単位になっている。直径10キロのドームなら直径100キロの中にはひとつだけ。

1000万人が住む空間ドームユニットならば直径50キロだから500キロの範囲にひとつだけ。

厳しいがこのこれを守ってゆかなければならない。

そして、この空間ドームユニットからは何人たりとも足を踏み出してはいけないのである。

もし、踏み出すものがあれば、厳しく対処される。

問答無用、情け容赦なく、もう半端じゃなく対処される。

都市と都市、すなわち空間ドームユニットと空間ドームユニットの間は、長い風船でつながっていて、その中を通って行き来する。

ドームの外は、野放しの大自然。ドームを守り安定させるための治水工事その他はなされているが、あとは、触れない。
未来都市の理想に見える空間ドームユニットは、実は、人間を閉じ込めるための形なのだった。

それでも、まだ足りなかった。

地球の自然を守り、種の絶滅の危機を救い、温暖化の驚異から地球を守るためにはー。まだまだ足りなかった。

人間を閉じ込めるだけでは、もう、ちょっと、無理ですねー。

地球世界みんなの政府のウルトラスーパーデスペシャルラックスコンピュータは、とんでもないことを言い出すのだった。





2008年11月26日(水)

ソーラとアスカ(59)
「人間を減らさないと」

「人間を閉じ込めるだけでは、もう、ちょっと、無理ですねー。 」

地球世界みんなの政府のスーパーウルトラスペシャルデラックスゴールデンコンピュータは、とんでもないことを言い出すのだった。

「人間がちょっと多すぎます。」

何んてことを言い出すのか。たかがスーパーコンピュータの分際で…。

「人間をちょっと減らさないと、ちょっと無理っぽい。」

何てことを。みんなが聞いたら怒るぞ。

「計算しなおしてもいいけど、何回やっても、無理無理、絶対無理だって。」

そこのところを何とか、これまで見たいに、ドーム出た人間は、キビシク、ヤッチャッテ、かまわないし、それはみんなも覚悟してるし。熱発生、酸素消費量、二酸化炭素発生量、二酸化炭素消費のためのグリーンベルト強化、人類の小型化によるエネルギーの効率的利用、脳だけ人間促進政策。
何とか、人間を減らすなんて、物騒なことは、なしにしようよ。

「でもね、かなり無理っぽい。ごめん。勘弁。」

そりゃないよ。困っちゃうよ。どうすりゃいいんだよ、この先ー。あー困ったなー、困った。そんな物騒なこと、みんなに言えないよ。

「ちょと、ちょっとー、なんか、誤解してないかなー。
もしかして、何かい、人間をキビシク ヤッチマオウ なんて、いう意味にとってないよね。誤解してないかなー。心配だなー。」

だって、人間を減らすっていうことは、つまり、そのー、なんだねー、言いにくいなー。口が裂けてもいえないなー。

「何ーんか、すごく誤解してる気がする。ちがうって、そんなんじゃない。そんなことキビシク ヤッチマオウなんて、そんな、とんでもない。ロボット三原則が、あるからね。ボクには、そんな計算は出来ないことになってるんだ。ロボット三原則のアシカセがあるからね。」

おっ、なんか、いまやな感じだなー。なんか、ちがうなー。
まあいいや。
じゃー、いったいどうすりゃいいんだい。

「どっちみち、必要なことをするだけよ。いずれは、必要なこと。みんなも解っていること。今すぐ必要なだけ。」

あーー、そっちね。了解。でも、もうそうしなければならないのかいな。ちょっと早くないかな。まだまだ先だと思ってたー。

脳だけ人間のショボーンさんは、コンピュータの中に組み込まれて、コンピュータの相談に乗るのだった。

やっぱりそろそろ宇宙に出かけるかー。





2008年12月1日(月)

ソーラとアスカ(60)
「一石二鳥だけどー」

まだまだ先だと思っていたのにー。

脳だけ人間のショボーンさんは、コンピュータの中に組み込まれて、コンピュータの相談に乗るのだった。

やっぱりそろそろ宇宙に出かけるかー。ぼちぼち、ユニット組んで、10万人単位で宇宙船に乗って、年に十艘ずつ。百年で千艘、一億人。

それでも、10世紀が過ぎれば10億人が宇宙に飛び立つことになる。

300億の地球の人口が299億人。

時間をかけて、長い目でみて、この地球を絶滅と崩壊から守ってゆかなければならない。

ショボーンさんは、無機質なコンピュータの計算とはちがった生きた心でそう思うー。

その想いは、チームの脳だけ人間たち、マキアスさんたちにも伝わって来る。みんな同じ気持だ。

まーるくて、おおきくて、青く透明で、暖かく、気高く、どこまでも美しい地球。その姿、イメージが脳だけ人間たちの心にうかぶ。

地球みんなの政府のスーパーコンピュータ。これをサポートするために、脳だけ人間たちはチームを組み助けあい、支えている。

このコンピュータが言うことは、どうしても必要だ。

また同時に、これまで当然のこととして、月や火星、木星、土星などの惑星へ、すなわち太陽系内での移住計画も進んでいた。


じゃあー、
そうなるとー、
もしかしてー、
脳だけ人間が、だいぶ必要になるねー。僕たちみたいな仕事をすることがが必要だー。

「やはり宇宙船のメインコンピュータともなればかなり責任重大だからなー。脳だけ人間チームのサポートなしではやっていけない。もう今となっては、脳だけ人間ぬきのプログラムなんて考えられない。愛敬もなんもないし、やさしさもない。」


「でもー、脳だけ人間は、あんまり早く摘んじゃだめです。ちゃんとしっかり実った実じゃないとね。」

そう、しっかりした人格に育たないとー。

まあ、そんな訳で、まずは、月や火星、木星、土星、天王星と太陽系を中心に移住していたが、どうもそのあたりまで行くと、どっちみち、環境的には、住みにくいので、いっそのこと、宇宙へ出かけるのもいいかも知れない。

地球に海があるように、宇宙空間の質や次元が繋がっている果てまでは行けるだろう。

そして、コロンブスが未知の大陸に出会ったように、いくつかの宇宙船は、新しい星に出会うだろう。
人類はどこかの星でその種を存続し続けることが出来るかも知れない。





2008年12月4日(木)

ソーラとアスカ(61)
「脳だけ人間のその後の研究」

ショボーン氏が「脳だけ人間」になって100年近くが過ぎる。

あのころアスカおばあちゃんが400歳の長寿でギネスに載った。あの頃から順調に世界最高長寿の記録は塗り替えられてはいたがー。

今では、グラサノジージジ氏がその記録を書き換えて450歳を達成した。快挙である。

快挙ではあるのだがー。

そのとき、「脳だけ人間」のショボーン氏は、100年前の状態から依然としてたいした変わりもなく、健在であった。

健在どころか、実は、現役なのだった。
はじめての「脳だけ人間」。
技術面で、今では、もっとすばらしい状態で「脳だけ人間」になれる。
とは言え、なんと言っても「脳だけ人間」の元祖。

そんな訳で、ショボーン氏は現在、地球みんなの政府のメインコンピュータであるところの
スーパーウルトラスペシャルデラックスゴールデンコンピュータ
のプログラムの一部として勤務している。現役である。

520歳にしてまだまだ現役。

グラサノジージジ氏の最高長寿ギネス記録もはるかに及ぼない。

「脳だけ人間」は、この100年の間に研究が重ねられた。
その必要性、人類の未来を担っていく役割において欠かせない技術となった。
また「脳だけ人間」になることで、研究の予測では、最低10世紀の間、存在できることが分かった。
脳を「身体」に任せて置いたのでは、グラサノジージジ氏のように450歳あたりまで、せいぜい500歳が限界なのだ。

しかし、「脳だけ人間」になることによって、最低で1000歳は生存し続けられる。

だから任務としての責任もあるが、まあ、長生きできるメリットもないではない。

ただし、「脳だけ人間」になるためには、審査が厳しい。やはり「脳だけ人間」ともなれば人類にとっての重要な任務を背負う訳だから、しっかりしたひとでないと困る。

ショボーン氏は、元祖だから、まあ特別なところもある。

と言うのは、ショボーン氏は、まあ人は悪くないのだが、ちょっと気が小さいところがある。
また、まじめ一方な性格だったのだが、「脳だけ人間」になってからは、その反動で、ちょっと怠惰な面が見えてきたのだ。

「脳だけ人間」になるとまた違った性格が現れることもあるようだ。

まあ、でも、「脳だけ人間」の必要性は、そういう気ままな、人間らしい、ところにこそある。

コンピュータと言うのは、杓子定規でしかない。わからずやだ。





2008年12月6日(土)

ソーラとアスカ(62)
「『脳だけ人間』になるタイミング」

ショボーン氏のあと、「脳だけ人間」の研究も進み、希望者もわずかにあった。

どうせ350歳をすぎて身体がコントロールしきれないような状況に陥って、死んでしまうのであれば、それよりは、とりあえず「脳だけ人間」にでもなってしまおうか。という風に考える人がいたとしても、それは自然な流れかも知れない。

しかし、「脳だけ人間」になるにもタイミングと言うものがあることが分かってきた。

やはり、身体が崩壊するような危うい状況で、ギリギリのところで「脳だけ人間」になって、きわどくセーフ。
みたいな「脳だけ人間」のなり方は、よくないのである。

だいぶ事故も起きた。
身体と一緒に脳も崩壊してしまった。

まあ、もう少しのところで、残念ながら、間に合わなかった、と言うことか。

もともとが厳しい状況なので、それもやむなし。

本人にも、ちゃんと話してあっただろうし、分かってもいただろう。

400歳近い年齢。天命だったとあきらめてもらうしかない。それは、仕方もないことだ。

まあ、大変にお気の毒さまである。

でも、まあ、そんなギリギリになって、「脳だけ人間」でもいいやー、見たいな安易な考え方が、そもそもよくない。

そんな、いい加減な気持ちで「脳だけ人間」になっても、あまりいい仕事は出来ないだろう。

400歳だしー。ついこの間までは、ギネスブックに載ったほどの年齢だからー。

「脳だけ人間」への移行が失敗してしまった気の毒な人達をこれ以上せめてもしょうがないことだ。きっと、天国で

「ひでえこと言いやがる。好き勝手なことを言ってるなあ」

と思っているだろう。

そんな訳で、ひとつには、「脳だけ人間」になるには、タイムリミットが設けられた。

まず健康であること。
そして年齢は300歳から350歳まで。

その年齢制限を過ぎると、もう「脳だけ人間」になることは出来ない。

500歳頃までには、31世紀の科学をもってしても寿命が来てしまうことになるだろう。

その前に「脳だけ人間」になることができれば、1000年は最低生きられる。

もうひとつは、300歳になるまでは、自分から望んでも「脳だけ人間」になることは出来ない。

若くして、事故などの特殊な事情で、身体が崩壊してしまうような状況、そなことはほとんどないのだがー、その場合のみ、若くても「脳だけ人間」になることはある。





2008年12月8日(月)

ソーラとアスカ(63)
「苦い経験」

「脳だけ人間」になれば、1000年は最低生きて、その役割を果たさなければならない。

「脳だけ人間」になるもうひとつのきまり。
それは、300歳になるまでは、自分から望んでも「脳だけ人間」にはなれないと言うことだ。

まあ若くして事故などの特殊な事情で身体が崩壊してしまうような状況、31世紀では、そんなことはほとんどないが、その場合のみ「脳だけ人間」になることはある。

また、300歳になっていても、その人があまりにもムカナイと判断された場合は「脳だけ人間」にはなれない。

それには、ある苦い経験があるからだ。

あるユニットで、若くして脳だけになることになった「脳だけ人間」を組み込んだ惑星開発ロボットがあった。

しかし、その「脳だけ人間」。
そのロボットの大きなカラダをして、駄々をこね、ひねくれて、暴れた回ったのである。

まあ、ちいさな子供のなら、お尻を叩いてしつけることも出来るだろうが、巨大なロボットのカラダでひねくれられたのではたまったものではない。

暴れられて、大変に困ったことになった。
散々暴れて、惑星開発ユニットを壊しまわった。ずいぶん手を焼いたものだ。

「脳だけ人間」には、コンピュータやロボットと違って、制御の基準が異なる。ロボット三原則では適応されない。

人格が尊重された基準になっている。

かなりの時間をかけて説得にあたっりもした。

だから、被害はだいぶ大きかったが、さいわい人口の比較的少ない惑星だったし、巨大ロボットといってもス数十万人が乗る宇宙船と言うわけでもない。

その教訓から、「脳だけ人間」になるべき脳は、しっかり実ってからでなければ、収穫できないことが分かった。

最低でも300年は美しい地球にあって、太陽の光をぞんぶんに浴びて、実り多い、豊かな、そして愛にはぐくまれた人生を過ごさなければならない。

脳はまあーるく、まあーるくあらねばならない。一部のすきもなく、真にまあーるくあることが必要だ。

脳はやさしさも、強さも必要だ。
そしてやさしさこそは、強さでもある。
そのやさしさと強さはけして、コンピュータには持つことが出来ない。

「脳だけ人間」はコンピュータと人間の架け橋。

「脳だけ人間」はもともとは、美しい若者でであり、娘だった。

「脳だけ人間」はスーパーコンピュータの力を持った人間の意思なのである。





2008年12月10日(水)

ソーラとアスカ(64)
「『脳だけ人間』のパフオーマンスを引き出す方法」

「脳だけ人間」の研究で最もすばらしい発見。

いたずらな科学者がいた。あるとき、「脳だけ人間」の培養槽に、別の「脳だけ人間」を入れてみた。
最初は緊張感のある脳波が続いたが、次第に穏やかになり、活発な微弱な電位が見られるようになった。だが、その微弱な脳波は、ささやかで、うまく意思の動きを外から読み取ることができない。

培養槽のなかの水を介して「脳だけ人間」同士が直接にコミュニケーションをとるようた。

サイボーグリングを介しての脳波の感知や出力増幅なし。
だから、まだ、表に出さない感情や言葉より以前の段階で、意思のコミュニケーションをしているようだ。

生身の身体であれば、今日はお顔の色がすぐれませんねー、とか、誰かの言葉に一瞬表情が曇る、みたいなこと。

そう言う微妙な感情のやりとりが「脳だけ人間」では、これまでむずかしかった。
そのことが、「脳だけ人間」のストレスになり、自分だけが「脳だけ人間」なんだ、と言うような孤独感をつのらせていた。
ないしょの話が「脳だけ人間」には出来なかったのである。
そして、そのストレスが原因となり、本来の「脳だけ人間」のパフォーマンスを発揮出来ないことも多かった。

このいたずらな科学者によって発見された方法により、「脳だけ人間」たちは、より安定して活動するようになった。まるではりきっているようにもみえるくらいだ。

これが、世紀の大発見。「脳だけ人間」にとって、今では欠かすことのできない技術だったのである。

その科学者がはじめて実験した「脳だけ人間」はソーラお嬢様。わがままで、怒ってみたり、ひねくれてみたり、その科学者は日々ご機嫌をとるのに手を焼いていた。

その培養槽に、「脳だけ人間」マダムアスカの脳をちょいと入れてみた。

マダムアスカは、こちら安定感はあるが、どことなく、強すぎ、内にひめた悲しみがある。

このコーディネートは上手くいった。

ソーラお嬢様の管理に手を焼くこともなきなり、マダムアスカのパフォーマンスも飛躍的向上した。
科学者は驚いた。たった、こんなことをー。と世間は笑うかも知れない。しかし、こんなことが分かるまでに、31世紀の科学は半世紀もかかったのだ。この方式は、キャラクターコーディネート、はじめての「脳だけ人間」たちの名前に敬意を表しソーラ&アスカ方式と呼ばれた。




2008年12月16日(火)

ソーラとアスカ(65)
「ミニダックスと進化論」

31世紀から見れば、むかしむかしの話である。
ミニダックスと言う犬の種があった。身体がちいさく、姿かたちはかわいらしくうつくしい。そしてなかなかに賢くて芸もよく覚えた。性格は従順なだけではなくて、気ままでわがままなところがあったり、非常にたくましい一面もあったりして、ひとを飽きさせることがなかった。21世紀のはじめころに、ひとの生活スタイルによくなじみ暮らしの中に入り込んでいった。

ところで、ダーウィンが進化論を唱えた18世紀中頃、産業革命により生産力を飛躍的に発展させた中世ヨーロッパでは、荘園を支配する領主の権力が弱まり、資本の世の中に移行してゆく。

ダーウィンの進化論のきっかけは、航海技術の進歩によって世界中をめぐって、新しい大陸や島にゆき探検でき、新しい鳥や動物の種類を発見していったことにある。
ガラパゴス諸島を訪ねたダーウィン。同じフィンチと言う鳥のくちばしの形が島によって異なる。また、海亀の甲羅の形も同じ種類の亀なのにちがう。イグアナもそう浜辺にいたイグアナが陸に上がっていたり、海にいたり。

ダーウィンは、そのような現象から、環境の変化こそが生物に変化をもたらしたと考えた。

生き物が変わる。変化する。そのように柔軟に考えたられたことのひとつには、そのころ、ヨーロッパでは、狩猟に敵した犬の改良が行われていたことにある。この犬とあの犬を掛け合わせるとこう言う特徴をもった犬が産まれる。
そして、その犬は、足がはやくて、賢い。チームプレーに向いている。勇敢でひるまないが、仲間にやさしく、主人に義理固い。そして何より、病気にも強く元気。そして、飼いやすい。
まあそのような、犬を求めた。また、狩りの用途によっても、役割や能力や求められるものが異なっただろう。または美しさ、可愛らしさ。
その探求は掛け合わせることで行われていた。このように犬が変わりうることをダーウィンは知っていた。

このようにダーウィンは進化論を唱えたが、中世ヨーロッパはキリスト教の世の中。人間も動物も神によってつくられた創造物。だから、進化によって生物が変化し、その中で人類が生まれてきたと言うことはキリスト教の教えに反する。ダーウィンは長い間進化論を発表しなかった。物事の進化、変化には原因があり結果がある。進化論はその後の世界に大きな影響を与えた。マルクスの資本論も、進化論の影響を受けている。





2008年12月23日(火)

ソーラとアスカ(66)
「ミニダックスの進化、ちょっと横道」

ダーウィンによって唱えたられた進化論。
人間が気付くか気付かないかは無関係に地球のゆりかごの中で、生命の起源があり(諸説あり)そこから、進化の現実は永々と営まれ続けてきた。

人類は、多くの犠牲の上に立ち、または、天才たちの手によって多くの事に気付き、発見してきた。

人類は木の棒を使い、石を使い、火を使った。動物たちを使い、稲を使い、文字を使い、鉄を使った。
蒸気機関の動力を使い、電気を使い、原子力を使った。
コンピュータとロボットを使い、細胞と遺伝子を使い、脳とサイボーグを使った。

人類ホモサピエンスが種として誕生し、アフリカの大地から地球上にひろがってから400万年。人類が文字を産み出した有史以来5000年、石斧が見付かったのは1万5千年。人類の時間から見ても、一瞬の瞬きに過ぎない。

昔、人類は何も知らなかった。そして多くのことに気付き、発見してきた。
しかし、それでも、31世紀の今も、自分達自身のこと、そして、私達が住むこの宇宙のことを人類は何も知らないままだ。

太陽の時間は100億年。地球の時間は50億年。そのうちの45億年の時間をかけて、地球は、そして太陽は、いやあるいはこの宇宙は、進化の頂点として、私達人類を産み出してくれた。
そこにはきっと何かの意味と役割があるのだろう。

また、ビックバンの爆発によって産まれた宇宙は、どんどん膨張を続けて、いつしか平坦な電磁波のゆらめきのみになると言う。
そのことは、理論としての事実である。 人類は、地球と太陽の崩壊から脱出することが出来、あるいはまた、銀河系の消滅から免れたとしても。いつの日にか、すべてをのせた宇宙そのものが消えてしまう。当然、生命もなにもかもを飲み込んでー。
その運命は考えてみれば、おそろしい気もする。
しかし、自分達とはまったく関係ない未来のよう出来事のような気がする。

でも人類は、ご先祖たちがして来たように、自分達は、とりあえず今日を生き抜いて行かねばならない。

そして今は、地球の環境破壊と種の絶滅をくいとめること。そして、宇宙をもっと知るために旅立つことなのである。


余談になるが、ダーウィンの進化論の影響も受けると言うマルクスの資本論。

社会の仕組みが、原始時代からずずずいっと21世紀の資本主義の時代に移り変わって行ったのは何故か。
そして、社会の体制はどこへ向かおうとしていたのか。





2008年12月23日(火)

ソーラとアスカ(67)
「ミニダックスの進化ちょっと寄り道、31世紀の社会システムへ」

昔の人類がラスコーの洞窟一杯に大きく描いた群れなす動物たち。エジプトの壁画に描かれた豊かな穀物の実り。大古のひとたちのあこがれ。それこそが生産力と言うことだ。食べるものがある。子孫が栄え命を明日へ繋いでゆくことができる。

原始の社会では、生産力は小さなものに過ぎなかった。生産力は、人類が新しいことに気付き、発見する度に、力を増していった。
生産力を基礎に、社会の仕組みが形作られると言う。複雑に見える社会の成り立ちも、生産力と言う視点に立てば説明が出来る。

21世紀の社会は資本主義。お金の流れにまかせ、水が高い所から低いところへ流れて行き渡るように、お金も流れて世界中にめぐり恩恵をもたらすと。
しかし、お金は暴走した。人々に恩恵をもたらすどころか、貧困を産み、環境を破壊し、戦争を引き起こした。水が反乱して洪水を起こすように。
自然の驚異より、資本の暴走の人々に与える被害は、甚大で、酷いものだった。

その解決策として、マルクスは、生産力の変化にみあった社会体制に移行する必要を唱えた。資本の暴走を止め、人が資本にコントロールされるのではなく、人が資本をコントロールしなければならない。大きくなった生産力は人々のためにあらねばならない。

皮肉なことに、その生産力は資本主義の国々でさらに日進月歩、急速に発展した。結果、人々の暮らしは社会主義の国々より豊かになった。
社会主義を唱えた国々は、その理想とは裏腹に、個人崇拝に陥り自由のない硬直した社会になり人々は貧しかった。

資本主義ではお金が暴走し、社会主義では、人々はやる気をもてず、硬直した。
なかなか、うまくゆかないのだった。

追い討ちをかけるように、温暖化の驚異が21世紀の人類を襲った。世界のあちこちで大災害や戦争や貧困が襲いかかった。あるものは内面に閉じ籠り心を閉ざした。

それでも人類はあきらめることなく試行錯誤を繰り返した。

特に温暖化の驚異では、世界人口当時100億が、半分になってしまい、まさしく人類には、絶滅の危機が現実のこととして迫った。だが、そのことが返って人類を目覚めさせた。人類には、あらそっている時間はない。

31世紀「脳だけ人間」とスーパーコンピュータ管理による地球みんな政府の社会に移行した。

アラーの神もキリストの神も、人々を幸福に導くことが最終的目標であることに変わりはないのだった。





2008年12月24日(水)

ソーラとアスカ(68)
「ミニダックスの進化ー大いなる遺産」

ミニダックスが人類のパートナーとして選ばれ、種の改良が徹底的に施された。
地球が統一されて、地球みんなの政府になってからも、この人類の最良のパートナーであるミニダックスの大改造プロジェクトは進められた。

ミニダックスは、前の時代の交配という手法で作り出された種である。
犬の交配による改良は19世紀はじめヨーロッパでは盛んに行われた。ダーウィンの進化論のきっかけにもなったと言う。
犬であれば、朝顔と同じように、交配によってその遺伝の仕組みを研究することも許されるだろう。
時代は進み、21世紀の終りころには、直接遺伝子を操作することで改良がおこなわれた。

知能のすぐれたミニダックスを作り出すことも夢ではない。

みんなの政府はミニダックスの進化を、人類にとって不可欠なものと位置づけているのである。

そのために、どれだけ多くのミニダックスたちが犠牲になっていったことだろう。あるものは、ふぐのまま一生を終わった。あるものは、素晴らしい美しい毛色を得たが、あっと言う間に癌化して消えた。あるものは、あまりの醜さに闇に葬られ、あるものは、細菌に対する抵抗力があまりに弱かった。あるものは知能にすぐれたが、精神的安定を失たり、知能と引き換えに、凶暴性をました。
それらは、受け入れられる事もなく、失敗作として、闇に葬られてゆく。
ミニダックスを生み出した人間は神なのか。そんな権利がどこにあるのか。
この進化の実験のあまりの現実に、目を覆いたくなる。これが遺伝子の研究と言うこと、科学と言うものなのだろう。

そのようにして、遺伝子の進化の研究の洗礼を受けて、ミニダックスは31世紀の今我々人類とともにある。

彼等は未だ話すことは出来ないが、中学生並の知能を持ち、「脳だけ人間」がダイレクトにコミュニケーションしたところ大変心が通じ会えることに今さらのように驚かされ、純粋な心ねに癒された。

「脳だけ人間」の誕生と合わせて、進化した知能にすぐれたミニダックスがわれわれと共にあることは過去からの大いなる遺産である。

なを、失敗作といわれたミニダックスたちは、南の島に暮らし、自然の楽園の中で、その生態系において独自の暮らしと進化を続けて、子孫たちは野生種として、今も、人間の生活圏の外、ドームの外で暮らし続けている。




2008年12月26日(金)

ソーラとアスカ(69)
「マキアスの選択」

BC3000年頃、人類にとって画期的技術が産まれていました。それは「脳だけ人間」。それから数世紀が経過して、「脳だけ人間」は重要性をまし、徐々に普及してきました。

場面は3308年11月21日。
ソーラとアスカ(53)のあの場面に戻ります。マキアスの人生の中で重要な選択の岐路に立っていました。

マキアスは、350歳の。(250歳から話のなりゆき上ちょっと増やしました)。
そう、3308年11月21日。350歳の誕生日を迎えるのだ。

人類は、今や400歳(300歳じゃなく)の寿命を謳歌するのはあたり前。

しかし、これから先科学技術がこれ以上発達したとしても、まあ、だいたい450歳、せいぜい500歳までだろう。それ以上はなかなか生きられない。人類の身体の限界だろう。

脳を移植してもらっても、身体の部品をいくら換えてもらっても、いくら性能のよい人工心臓や人工の肺をつけてもらっても、遺伝子をいじってもらっても、もうどうにもこうにも身体がいかれてしまい、土台がもたない感じだ。かと言ってまあ400歳まで生きれば自分としては何の不満もない。
ーと思ってはいたが。

ソーラおばあちゃんが人類はじめて200歳を迎えたのがもう1000年前。(2308年)

アスカおばあちゃんが人類ではじめて、400歳を向かえたのが200年ほど前。(3100年頃)

グラサノジージジ爺が450歳を達成したのは、その100年後。(3200年頃)

それらは確に記念すべき記録で、ギネスブックにも載った。人類最高長寿。

アスカおばあちゃんが400歳を迎える70年ほど前、ショボーン氏は「脳だけ人間」になり、未だに健在である。それは3030年頃のこと。その当時彼は、350歳だから、今3308年現在628歳になる。元気に地球みんなの政府スーパーウルトラスペシュルゴールデンデラックスCUP(以下SUSGD−Cサスガダコンピュータ)付き「脳だけ人間」として勤務を続けている。628歳にして現役。

時代は進み、「脳だけ人間」の研究も進み、その必要性や役割も明らかになった。また、そのことに応えて、「脳だけ人間」のなり手も少なからず現れている。


まあ、そんな訳で、マキアスさんもなかなかいい年になって来たが、まだまだ元気だし、あと100年はこのままでも元気にやれそうだ。

しかし、「脳だけ人間」になるとすれば、もう今日が最後のチャンスなのである。
さすがにこれまで迷い続けて来た。

こんなに元気だ。食べるものもおいしい。




2008年12月30日(火)

ソーラとアスカ(70)
「地球みんなの政府の宣伝広告」

【募集】
『あなたも「脳だけ人間」になりませんか。』
【「脳だけ人間」になり一定の研修後各勤務先に配属。給料は年俸制で1800万円。食費、住宅費、電気光熱費、通信費、その他の生活費用の一切は全て政府が負担。税金完全控除、仕事の内容、配置地域は相談に応じます。】

でもなー、「脳だけ人間」になったらマンションに住むわけにもいかないし、食べる必要もなさそうだし、第一お金も必要かどうか。まあ、ともだちやお袋さんや子供たちにでも。

不景気の中、「脳だけ人間」には、まだ仕事先がある。

マキアスは迷っていた。「脳だけ人間」になるべきか、否か。このまま人間の身体のままで100年の人生を謳歌するもよし。
今、元気だし食べるものもおいしい。身体を動かすのも好きだ。天気のよい日に近くの公園でジョギングしたり、バトミントンしたり。 いつの間にか汗を流して、とても気持いい。その後グイッとビール飲むのもおいしい。

ともだちに聞いてみたり、母親や妹や子供たちにも相談はしてみたが。最後は自分で決めるしかない。

親の時代には「脳だけ人間」のシステムがなかった。母親は450歳で少し前ならギネスものだ。

でも、まだ「脳だけ人間」になるのは早い気がする。これも政府の決まりだ。

「脳だけ人間」になったらともだちと公園で夢中になってバトミントンも出来なくなる。ささやかなことだがそんな日常のありふれたことが未練なのである。

前のともだちは、年上だったが、離れて久しいのだけれど、20年ほど前に審査に合格し「脳だけ人間」になった、と風の便りに聞く。ジャポン地域のスーパーコンピュータ付きの「脳だけ人間」として勤務しているそうだ。
そう言えば、ときどき、不思議にラッキーなことが起こるのは、もしかしたら、「脳だけ人間」になったともだちの好意的いたずらかも知れないなー。
もし「脳だけ人間」になれば、また、ともだちと会えるのかも知れない。

そのときピカピカピカと懐かし気に、受付棟の蛍光サインが瞬いた。

受付の周りをさりげなくめぐっていたマキアスは、その瞬きに誘われるように、後押しされるように「脳だけ人間」審査受付に入って行った。その使命は、求められる運命だったのだろう。

受付には、
やっはり、
あの人物がいるのである。グラサン系のー。


「よっ、だんなー。覚悟決めたかい。うじうじしてんじゃねーだろーなー。」







またね〜(^_^)



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