ソーラさんとアスカさんののん気な一日

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ー 第三部:SF未来編(1) −


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2007年11月22日(木)

ソーラとアスカ(プロローグ) 
ES細胞を

ヒトの皮膚の細胞からつくる事に京都大学の研究チームが成功。
ES細胞は夢の万能細胞とのこと。遺伝子情報によってどんな細胞にも変化する。心筋にもなりし、神経細胞にもなる。 しかし、受精卵などにしか見られず、それを扱うことは、倫理面で問題があった。
この細胞の研究によって、自分の細胞から心臓や腎臓、神経などをつくることが出来る可能性を秘めている。
移植手術で問題になる拒絶反応も自分の細胞からつくるので大丈夫。
誰か提供が現れるのを待つ、誰かの死を待ち望む必要もない。
まさに夢のような医療の可能性を秘めたES細胞なのだ。
透析医療もなくなる訳だ。 自分の皮膚からES細胞を作り、そこから腎臓をつくってもらい。
移植してもらえばいい。

でも、神経を作ってもらったら、脳ができてしまったらどうしよう。いろいろと脳が単体で悩みはじめてしまったりしてね。こまるだろうな。倫理面倒であらたな門たいがー。






2007年11月23日(金)

ソーラとアスカ(1) 
「そして時は流れ」

ソーラとアスカ なかよくケンカしながらたのしくのんきに日々が過ぎてゆく。
ベランダでのへーとしていると、秋の日差しは降り注ぎ、空気は涼やかに、リンと澄み渡っている。
気持がいいね。

ホントにね。

アスカさんがのへーと寝転がりながらソーラさんに話しかければ、ソーラさんも肘をついてのへーとくつろいで寝そべり相槌を打つのであった。
ご主人は、昔は、バスにのってお仕事に出かけたものだが、最近は、たまにしか見掛けない。
どこかにアパートをかりているとか。
ここアスカさんたちと暮らしていたときもかなりなまけぐせのある暮らしぶりだった。さらにきままに暮らしているらしい。
こうして、ベランダにふたり寝転んで、エネルギーを使うのももったいないのだけれど、ときどきご主人の様子をテレパシーを使って覗いてみることがある。
わたしたちがよくベランダから吠えてお散歩に連れてゆけと言ってあげたうちはよかったけれど、離れて気ままになってからは、なまけぐせがひどくなって、ゴロゴロと一日テレビを見ていることもある。ひどいものだわねー。
まあそれでも仕事のときは相変わらずまあ元気にやってるみたいね。
ソーラとわたし、エネルギー合わせて見ていると、ご主人はなんだかキョロキョロしてるは。

秋の風は涼やかに。 毛皮のコートのわたしたちには、ちょうど気持がいみたい。
耳を澄ませば、小鳥たちに話声、ご近所の犬たちの話声、。中学校の校庭からはいつもの様に、にぎやかな子どもたちの笑声が聞こえてくる。
相変わらすた。

おやじさん、おふくろさんはいつも何だか相変わらずとびまわって。

時間の流れは、この日差しの様に、さらさらした光は、ソーラにもアスカにも誰にでも万弁なく等しく、降り注ぐ。

たのしい思い出をみのらせる代わりに、少しずつ、時計の針中野を秋から冬へと動きしてゆく。

2007年11月27日(火)

「そう言えばー」

そう言えば、ソーラさんの
へ・ル・ニ・ア
どうなったか と言うと、
手術をしてもらった。 あれは何年前だろう。
ソーラが何となく元気がない。
そのうちもっとヘルニアが大きくなって問題が起こればー。 と言われていた。
かなりおおきくなり、歩きにくそうだった。
急いで獣医さんに連れて行くと、あやうく手遅れになるとこだったそうだ。
それで手術をしてもらって、すっかり元気になったのだった。
このこともホームページ日よりに書いたことがあるのを思い出した。
大きなヘルニアがあり歩きにくそうだったが、それがなくなって、本当に軽やかそう。
腰痛は、アスカの専門だったが、あるときソーラも、大変な目にあった。ほんとうに、もうさえないといったらない。
渋い顔。もうどうにもこうにも笑えない。痛み止をもらったそうだ。
アスカの腰痛は、その後大きな再発はなかった。
最近のアスカは、お散歩もソーラは歩き、アスカはおふくろさんに抱かれているのであった。

ミニダックスは、このヘルニアと腰痛が一番かかりやすい病気とのこと。胴が長いからね。

ちいさなミニダックスは、食べるエサの量も小さい。 寝る小屋も小さい。うんちも小さい。
今の人間の生活の中で買いやすい犬なのだ。
ソーラとアスカのふたりを見ていて、個性がはっきりしているとおもう。人格と言うか犬格と言うか、すばらし手応えがある。
あまたの犬の中で、 ソーラとアスカが我が家にやって来て、こうして一緒に人生のあるいは犬生のひとときを歩いている訳だが、何で君たちだったかな、みたいなことはない。 なにかの必然によってこうなっている。

ミニダックスは、本当によく見掛ける。 あるときはコンビニの入り口に、スーパーの入り口に、電車の中で、ワンとないたり。ドキリとする。 街角に、公園に。

ミニダックスだらけだ。

このように、犬のなかでも、ミニダックスは特別に人間とともに繁栄を極め、 あらたな進化の道を進む事になる。

あるかもよ。






2007年11月30日(金)


「今日、駅を降りると」



ちょっと黄色い落ち葉の絨毯だった。 きっと明日か明後日あたりがピークだろう。
でも土日だから見れないしサクサクと踏めない。
月曜に通るときにはだいぶ散ってしまっていることだろう。





「ソーラとアスカなかよし」

月日は流れ、ソーラとアスカ、ベランダでふたりでのへーっとしていたあの頃。 あの日からなんと30年の年月が流れている。

こんな書き出しで、 ソーラさんアスカののん気な一日 エッセイをチョコチョコ 電車の中で打ちます。 ひさしぶりにー。

新しいキャロットは混んでるなかでも打てる。
でも、メモ書き見たいな文書にはなる。
そうそう一気に30年飛ぶ。 怖いようなハッピーなような。





2007年12月7日(金)

ソーラとアスカ (2) 
「ミニダックスの寿命」


ミニダックスの寿命は20年と言う。

一般的には、犬の寿命は15年。
それに比べると長いなと思う。
体が小型の方がからだの負担が軽いのだろうか。
一般の犬で20年生きた犬はなかなか見ない。

九州のとこちゃんちにセブンと言う犬がいた。2001年秋九州を訪ねたときのことだ。
そのときセブンは17歳だった。家の中をヨロヨロふらふらと歩いていた。

あのとき、ソーラとアスカも一緒に出かけたのだった。
そのときの様子はソーラとアスカのん気な一日の一部に書いた。

自分の知るなかで、一番長生きの犬は、セブンだ。

それで、ソーラとアスカはいくつかと言えば、早いもので10歳と15歳なのだ。

このホームページ ソーラとアスカののん気な一日を開設した2002年から、はや5年の年月が流れている。あのころソーラとアスカは5歳と10歳だったのだ。

まあ、アクセスが少ないのにもめげずこうして続けてきたのにも、我ながら関心。 5年でっせ。




2007年12月12日(水)



ソーラとアスカ (3) 
「長生き遺伝子」

30年と言うのは、けっこう長い年月であるが、まあ過ぎて過ぎてしまえば案外あっと言うまだと今は、ソーラとアスカのご主人であったところのマッキーさんは思うのであった。

と言うのも、今はこのときは、30年後であるので、ソーラとアスカも今は、残念なことながら、いないのであった。

それは仕方のないことなのであった。

と言うのも、ミニダックスの寿命は20年。
しかし、ソーラとアスカは、はるかにその枠を越えて長命だった。なにせ、アスカは25年いきた。
そして、ソーラはなんと35年も生きたのだった。

そう、今はソーラが35年後の寿命をまっとうして早く5年の月日が流れている。
これにはみんながおどろいていた。
NHKのニュースにもとりあげられたほどだ。
ソーラとアスカのながいき遺伝子は、研究者の注目を集めた。 その家系に長生きの秘密がかくされているのか、または、特別にふたりにそなわったものなのか。 これからの分析が待たれるにしても、それは、ミニダックスの新たな進化への兆しかもしれない。



ソーラとアスカ 4

そう、今はソーラが35年後の寿命をまっとうして早く5年の月日が流れている。
これにはみんながおどろいていた。
NHKのニュースにもとりあげられたほどだ。
ソーラとアスカのながいき遺伝子は、研究者の注目を集めた。 その家系に長生きの秘密がかくされているのか、または、特別にふたりにそなわったものなのか。 これからの分析が待たれるにしても、それは、ミニダックスの新たな進化への兆しかもしれない。
人類は孤独か。
大宇宙のなかUFOの存在を信じて、知的生命体と出会いを求めてきたが、

灯台 もと 暗し

ここに人類のパートなが現れるのかもしれない。

知的生命体、ミニダックス。

人間との共存によって彼等は、加速度的な進化を遂げる。

人類の遺伝子研究もそれにかかわっている。





2007年12月13日(木)

ソーラとアスカ (5) 
「万能細胞」

科学の進歩はますます加速している。
さ30年前にひと皮膚の細胞から、万能細胞、または夢の細胞と言われるES細胞を作ることに成功した。あの発見は確か日本だった。
あの発見は人類はにとって大きなものとなった。
何せ、あれから30年。医療のありようはあの頃と大きく変わった。
あれから、いろいろ試行錯誤が繰り返されて、十年前に、心臓を作ることに成功した。
五年前には、腎臓を作ることにも成功した。
心臓をつくるには、一年間、培養増殖成長期間が必要だったが、その期間も半年に短縮されて、完成度ももっとレベルをあげたと聞く。

2007年頃。今から思えば、人はつまらないことで死んでいたものだと思う。
たった30年前のことなのに。人工透析は、つい最近まで行われいたし、緊急の場合は行われるがー。 腎不全の治療は、ES細胞から腎臓を作り出すことに成功してからは、あっと言う間に、移植医療に切り替わった。

腎臓が悪ければ、取り替えればいい。

以前は、ドナーが現れなければ、腎臓は他にない訳だし、ドナーが現れても、自分に順番が回って来るかは分からない。
だから、20年も30年も透析を受けているひとがたくさんいたものだ。

今は、半年ほどまてば、自分のES細胞から、自分の腎臓をつくってもらえる。 自分自身の細胞だから拒絶反応はないし、すぐに体になじんで働いてくれる。
手術の成功率は100パーセントに近い。

そんなわけで、透析はほとんどない世の中になった。

お金。
でも、まだまだ腎臓を作ってもらうにはお金がかかる。一年ぶんの給料かかるね。
でも、背に腹は代えられない。そのおかげで、まだ何十年も元気で働けたらありがたい。 まあきっと30年前を知ってるいまのお年よりには夢のようなことだ。

わたしことマッキーさんも80歳。
年よりたちがそう言うのもよく分かる年代である。

しかし、まだ年よりと言う年ではない。





2007年12月15日(土)

ソーラとアスカ(6) 
「お年寄りの団結…」

80歳。
まあ早いものだ。
ソーラとアスカのご主人であったところのわたくしことマッキーは、まあ、今、つくづくとそのように思う訳です。
とは言っても、まだまだ80歳。 人生もうひと花咲かせようと思っている訳です。
と言うのも、今では、平均寿命は95歳。 これ男性ね。
女性は100歳に達しました。

年よりが増えると、誰が面倒をみるのか。と言うまことしやかなうわさが昔ありましたがー。
結局、年よりは、自分たちの面倒は自分たちでみるのでした。 第一に年よりと言うのは、実は、想像以上に元気なものだったのだ。
金がかかる若い人達が大変だなどと言われる肩身の狭い思いをしてきたお年よりだったが、実際に高齢化社会が来てみると、よい意味で予想しなかったことが起きてきた。

まずは、お年よりたちが手を携えて立ち上がった。 団塊の世代の人達は、戦後生まれだ。
戦争を知らない子どもたちだった世代だけれど、人生のスタートのすぐ直前があの大きな戦争だった。団塊世代の親は戦争のなか命をつなぎ生き抜いてきた。だから、その子どもたちも戦争の影響を強く受けている。生き抜くこと、命の大切さ、痛みを本当に知る世代なのだった。
団塊の世代のお年よりたちは、お互い支え合うべくネットワークを作っていった。

むしろ心配なのは若者たちだった。





2007年12月25日(火)

ソーラとアスカ(7)
 「平均寿命100歳」

高齢化社会の到来の中で、もうひとついい方向に予想外だったことはー。

それは、やはり医学部進歩の早さだった。

先日おやじさんが膝を痛めてしまった。 病院から帰る途中駅の階段を踏み外した。
30年の時が流れたとは言え、階段は便利なものだ。

むしろ筋力の維持がひとの健康にとっては必要なのだ。 しかし、それが裏目に出てたまにおやじさんみたいな怪我も起こる。

おやじさんは今のいくつかと言うと、103歳になる。

まあ、昔なら100歳を越えれば、総理大臣からお祝いをもらったものだった。
今そんなことをしていたら、総理大臣も身が持たない。

今では、なにせ、男性の平均寿命は95歳だ。女性は100歳。
日本で一番長生きなのは、123歳になる。
ちなみにアスカは25歳だったが、人間で言うと110歳くらいになる。

ソーラはと 言うと、147歳になる。

現在万能細胞から心臓と腎臓はつくれるようになった。

関節軟骨の研究からES細胞は人工的に作ることが出来ることが発見された。

だからまず最初につくられたのは、なん骨だった。それはすぐに実用に役立った。
膝の関節症は、30年前の主な治療は、温めたり、痛み止。
痛みが酷くなり、身動きがとれなくなると、ねたきりになる可能性があるので、人工関節にかえる。
今では、人工的につくったなん骨を関節面にしっかりと張り付けてゆく。 そこに脊髄かん細胞を入れて活動性を高めると、関節なん骨は完全に着いて、また新しいなん骨がはえてきた。

そのようにして、105歳のおやじさんの関節症はすっかりよくなり、元気に中学校や中央公園の周りをさん歩もするし、階段も五階まで駆け上がることだって出来る。

昔なら膝がもとでねついてしまったひともあり、たかが膝といっても、割りと深刻な問題った。

その意味でおやじさんも十分に21世紀の科学技術の恩恵を受けるに間に合ったと言える。

30年前と同じように、公園にはみどりがゆたかにある。




2008年1月5日(土)

ソーラとアスカ(8) 
「80歳でもまだまだバイト」

おふくろさんは102歳で30年前に習い始めた中国語がものすごく上達した。ボケ防止には語学がよいと言われるがそれどころではなかった。
教室の中でも一番上達した。
もしかすると先生より上手いかも知れないと思う。
がしかし、先生にはかなわなかった。
と言うのも、実は、先生は中国の方なのであった。
しかし、先生は日本語が苦手なので、トータルな中国語と日本語両方の語学力は、おふくろさんが上なのだった。
まるでことばを電気掃除機で吸い込むようにおぼえてゆく。
こんなことが年をとってから出来ると言うのも本当に不思議なことだ。
102歳を向かえるこんにちは、頭は冴えわたり怖いくらいだ。
脳を上手く使ってゆく方法もまた30年前とはちがうのだ。
その鍵はやはり睡眠にあるのだった。その研究からある日みつかった。

ところで、
マッキーことわたしは、80歳まで働きこの冬に定年退職を迎えるが、まだまだ全然OKなので、継続雇用制度を使ってあと10年働こうと思っている。

昔は年金の支給は65歳だったが、わたくしことマッキーが年金をもらう頃には、支給が70歳になりもう少しとおもってたら75歳になり、こんどこそとおもったら一気に80歳の支給に逃げていった。
やっと80歳になり年金がもらえるけど、これでは食べてゆけないので、少しアルバイトでもしようかなと思ってます。
マックも最近は90歳100歳のひとたちが手にてをとって利用している。
そんなお客には、やはり年よりがいいのだ。80歳では若すぎかな。
食べ物商売は基本的に明るくていい。 食べ物を持ってゆけば、誰だってうれしそうな顔をするものだ。セールスのブログをいくつも書くのも疲れるし、セールスの迷惑メールを撃ち捲るのも道義的責任に胸が痛むものだ。 まあバイト料もらえればいいんだけどね。 そんなわけで、こうなれば、マックのバイトサマサマだ。 今は一応2038年です。




2008年1月17日(木)

ソーラとアスカ(9)
「長生きのコツ、身体は大事に使いましょう」

昔は8020運動と言うものがあった。これは歯の健康に関するもので、80歳になっても、総入れ歯になるのではなくて、自分の歯を20本残そうと言うものであった。
食後に歯磨き、必ず。一日三回。
寝る前に歯磨き。
とにかく歯磨き。
歯磨きのやり方も指導して正しく歯磨き。
たぶんあとは定期的に歯医者さんにかかって歯石をとってもらうことかな。
それで、それを確実に実行して歯のお手入れを欠かさずに行えば、80歳になっても入れ歯にならずに、自分の歯が20以上残り、美味しくものが食べられる。

それと基本は同じ。
長生きするためには、歯と同じようにこまめにメンテナンスが必要なのだ。

まず、食後に歯を研くように、体や心が疲れたら、きちんと元気な状態に回復させることが必要なのだ。 知らず知らずに忙しさにまかせて昔の人は無理を重ねてきた。疲労がたまってゆくと老化を早める。血管の硬化を少しずつ進めて行く。 まずは休むこと。
そして眠ること。
そして、人と話すこと。

昔、野球選手の寿命はせいぜい30代前半。ところがローテーションの当番が三日から四日になり、だんだん延びて五日、六日となり、一週間に一試合だけ投げればいい。すると50代で現役と言う選手が現れて最初は話題になったが、今では当たり前になった。

活動すると言うことは、裏側からみれば、いかに休息をとるかと言うこと。
いかに効率よく鍛えて高い体力と運動能力を得るかと言うことは、実に、如何に効率よく休息するかと言うことに行き着く。

使えば減るのである。大切に使えば長持ちする。当たり前のことに、改めて気付いたのだった。

医療技術が進歩して、心臓を交換することや腎臓を作ることも脳細胞さえ一部つくれる。
そんな時代であったとしても、あるいはそういう時代だから 癌にならないことが一番いいのだ。腎臓や心臓を悪くさないことが大切なのだ。
直せるようになってなお増してオリジナルのからだのパーツのその価値に気付く。
脳梗塞が昔に比べて脳の死んだ部分の根治的再生も含めて、治せるようになったとは言え、脳梗塞にならないことの方が考えてみれば、大切なのだ。

健康でたのしく、やりたいことがたくさんある。秒刻みで時間がもったいない。 100歳にっても予定帳がぎっしりでかけまわっている。

まず病気にならない。健康の大切さ、毎日毎日一日一日の大切さの見直しから21世紀後半の医療のあり方は見直された。






2008年1月27日(日)

ソーラとアスカ(10) 
「長生きの要素、完全食品サツマイモ」

健康であること、病気の何よりの治療はなによりも病気にならないことである。

当たり前と言うかも知れない。でもしかし、この当たり前のことがよくわかっていなかったと言わざるを得ないのが、30年前の世の中だ。

まあ、30年経った今だって実は、その当たり前のことを当たり前としてきちんとやっていくのは大変なのである。

ソーラとアスカが25年も35年もミニダックスでありながら生きたと言うのは、当たり前のことが出来た訳だがー。

彼女たちが何故それが出来たかといえば、だってねー。

職業に恵まれたというか、あれですよ。 ベランダでのへーとしてるだけですから。テレパシー使って自宅でサテライト型の労働といってもー、隣の犬たちと話したり、小鳥たちの噂話聞いてるだけですからね。
わたしがバスに乗って仕事に行ってるあいだに、まあのんびりしている訳。
テレパシーで、人が働いてるのを、ちょいとのぞきにきたり、たまに、
「あら、頑張っているじゃーないの」くらいなことを言って冷やかしてゆくんですよ。

まあ長生きしそうなふたりではあります。

どこの家のミニダックスだっておなじだろうと思うかも知れない。

しかし、ふたりこれだけではない。
普通の家のミニダックスとどこが違うかといえば、それはねー。
飼い主が特別にいいからなんです。
腹八分ん目の食事の管理(けちなだけ)。 規則正しいおさんぽ(自分のメタボ予防)。いつも穏やかに見守る姿勢(めんどくさがりで構わないだけ)。
すいません。飼い主がいいなんてうそ。 一度いってみたかっただけあります。






2008年2月5日(火)

ソーラとアスカ(11) 
「長生きのツボ…鼻」

ソーラとアスカが25年も35年も生きた。まあ、彼女たちの仕事はベランダでのへーっとしているくらいで、わたしがバスに乗って仕事に出かけている間に、テレパシーを使ってあちこちのぞいてたり、近所の犬たちとうわさ話をしたりしているのだから、確に長生きしそうではある。
だけど、それでは、他のミニダックスたちとどこが違うのか。
飼い主が特別にいい。
ーーと一度は言い切ってみたいが、実のところ、そんなこともないと思う。
だってねー。どこの家のミニダックスたちも我もの顔で、得意気に街を歩いている。家族の一員になり愛情を充分にそそがれているのが分かる。

当然、家でもソーラ姫が幼少の時から我が子の様に家にやって来たし、教育係り、お世話役の乳母として、アスカ乳母がやって来た。藤原定子と紫式部みたいしょ。我が家は、それを家族の一員として受け入れた。
アスカは、ソーラの母チャチャと一緒に産まれた姉妹。

ふたりがとても仲良く、おやじさん、おふくろさんとも仲良く、それは長生きの前提条件ではあるがー。

しかしその条件を満たす飼い主は他にもあるそうだ。
じゃあー、何故にソーラとアスカだけが数あるミニダックスの中でも長生きのななか?

それは、今研究中だがわたしが思い付くのはー。

あの お鼻 と言う芸。

いつも食事の前にきまりごととしてふたりにやってもらっている。あの芸。
あれが実は、長生きに、関係していることは十分に考えられる。
他の家のミニダックスはこの芸はやっていないだろう。
この「お鼻」と言う芸をするときに、私が指で床にトンネルと言うか、アーチを作ってあげると、そこにお鼻を突進させてくれる。
その押してくる圧力を毎回感じながら、生命力と言うか、ふたりの存在を確にかんじたものだ。
その圧力はなかなか手応えのある突進力なのだ。

たぶん思うに、このときに鼻の周囲にある健康の源に通じるなんらかのツボを刺激するのではないか。

もともとミニダックスは穴に潜って獲物を追う野生の本能がある。そこに命の源があるかも知れない。

だから鼻の周りのツボの刺激が人間に応用できるかわからない。たぶん無理。

もうひとつ長生きにの要素として我が家だけに考えられること言えばー。




2008年2月10日(日)

ソーラとアスカ(12) 
「長生きのツボ…お腹」

ふたりの長生きに我が家だけに特徴的な要素として思い付くことと言えばー。

ひとつには、鼻ツボ刺激だった。「お鼻」と言う我が家独特の芸をするときに、床に指でアーチを作ると鼻をその中に入れてくれる。
穴潜り職人であるミニダックスの特性がなせる技だ。

指で作ったトンネルに突進してくる力で鼻の付け根にあるある種のツボがこの芸を行うたびに刺激されそれが長生きのツボだったのである。
そしてもうひとつ、我が家に特徴的なことと言えば、
それはー、グリグリっとする遊びである。
アスカが親愛の情をしめしてコロンとしてくれる。お腹をみせてくれる。

「アスカ、コロンだよ、コロン!」と言うと、最初のうちは素直に何のためらいもなくアスカはコロンとしてくれる。

そして、
わたしは、ちょっといじわるい気持ちを心の中に抱きながら、人指し指を立ててアスカの無防備なお腹をグリグリっとする。

アスカさんは、我慢してそのグリグリに耐える。

やはりご主人であるわたしの命に背いては義理を欠くと思っているんだろう。

身体をくねらせながら、グリグリに耐えている。 古風な考え方のアスカなのだ。 三つ指ついて夫につかえるタイプかも知れない。

しかしグリグリが長くなるとさすがのアスカも逃げ出してゆく。
「かんべしてくれろ」

しかし、
わたしが、
「アスカ、だめだよ、我慢しなくちゃ!、はいコロンだよ」
と言うとー、

きっと心の中になんらかの葛藤があるのだろう。

しばらくは、わたしの側に来るのをためらうアスカなのだった。



2008年2月17日(日)

ソーラとアスカ(13) 
「長生きの素因…グリグリ」

最初は、あまんじてグリグリを受けるアスカも、繰り返されるうちに、ふと今のあり方に疑念を抱くのかも知れない。

ご主人が呼んでいるのであれば、ゆかなければならないわけだがー。

しかし、側にゆけばー、コロンと言われる。

それも、ご主人の命であれば従わねばならない。

そしてー、
コロンとすれば、 お腹を人指し指でグリグリとされるのだろう。

グリグリっとされると、痛いような、こしょぐったいようなー、何とも耐えがたい感じだ。
痛さなら耐えることも出来るだろう。
こしょぐったいのであれば、深呼吸をしながら笑わないようにツボをはずして耐えることも出来るだろう。
しかし、あのグリグリは恐るべきことにその両方が絶妙にブレンドされている。
これは、さすがに耐え切ることは難しい。

しかしー、それでも、ご主人の命とあれば耐え抜いて見せねばならない。
しかし、耐えられない。逃げて来てしまったのだ。
何らなの深い理由がきっとあるのだろう。
あきらめて逃げ出しそうになると
「アスカ、我慢だよ、我慢、がまん、ガマンー!」
とご主人は言うのだ。

きっと、この修行に立派に耐え抜いたその向こうがわには、また新しい境地が待っているのだろう。 ここを越えてゆかなければ、ご主人の伝えたいものはにはたどり着くことはできないのだろう。


アスカは、やってくるのだった。

「アスカ、グリグリだよー。ガマンだよー。ガマン!がんばってー。はい、グリグリ、グーリグーリグリ。グリグリグリのグーリグリ」

キャーーー。参った。参りました。やめてけろー。

さすがのアスカも逃げ出した。

むむむー、これは。 いったい、このことに何の意味があるのか。考えたくはないがー、もしかして、ご主人、かまっているだけかも。 物事は悪い方に考えたらきりがない。
こう言うマイナス思考はいけないことだ。
でもなー、何かなー、理不尽ー。もしかすると、かまってるだけ。ソーラさんとあとで手を叩きながらふたりで、おもしれーなー、とかいって笑いころげてるだけだったりしてね。
くそー、ひとのことからかいやがって。 また呼んでやがる。もっとらしい顔しやがってー。


アスカ、こらー、おいで。

しかし、ためらいはましてくる。ちょっとおどおどモードのアスカだ。
もう今度はこないだろう。さすがのアスカもシッポを巻いて観葉植物の台のしたにでも逃げ込んでしまうだろう。わたしはニ




2008年2月24日(日)

ソーラとアスカ(14) 
「強大な壁にー」

グリグリに耐えきれず逃げ出すアスカ。 今度はわたしが呼んでももう来ないだろう。シッポを巻いて観葉植物の台のしたにでも逃げ込んでしまうだろう。
わたしはニヤリとほくそえむ。

おどおどモードのアスカの様子が少し変わったような気がした。


人生と言う道を歩む中で、ひとはたびたび大きな壁にぶつかる。その壁があまりに高いとき、ひとはその強大さの前にひざまずき、途方にくれ、しばらくの間は、身動きさえできないだろう。しかし、やがておもむろに立ち上がる。

そのときに、選ぶべき道は二つしかない。
シッポを巻いて逃げ出すのか。あるいは、その強大な壁に向かってひとり敢然と立ち向かうのか。


まあ、昔ふたりのご主人であったところのわたくしことマッキーは現在80歳。
今の世の中、80歳といえば、まあ若くもないがそれほど年よりと言うほどでもない。定年退職して、継続雇用制度を利用してマックのバイトをして、第二の人生を楽しもうとハリキッテいるところだ。
その人生経験からするとー、もうーすばらしいくらいに強大な人生の壁に直面したときは、まあ実は中間的道もあります。

シッポを巻いたまま立ち向かうとか、
シッポを巻かないままでトンズラするとか。
いやーちょっと とかいいながら曖昧にしてお茶を濁すとか。 さまざま。
たいがいのひとはまあこんな感じです。
まあ人生そんなに完璧に行かない訳です。

ところがアスカはそうじゃなかった。

アスカVSマッキーのグリグリバトル。 攻めるのはマッキー。果たしてアスカはそれを受けきれるのか。

2008年3月2日(日)

ソーラとアスカ(15) 
「いじるならいじって来ーい」

アスカVSマッキーのグリグリバトル。 攻めるのはマッキー。果たしてアスカはそれを受けきれるのか。

全ての攻撃を受けきる。これもまた人生を歩む上で珠玉の言葉なのである。

攻めるのではなく、負けないと言うことに徹した戦いかた。
負けないなんてつまらないと思うかも知れない。
でも負けないってことは、ある意味 勝つ って事だ。勝ことだと言ってみてもいい。

もう昔になるが、アスカとのグリグリバトルを思い出すときー、
アスカが何故、これでもか、って向かってくるのか今でもわからない。

アスカもう向かって来なくていいんだよ。
そんなにしてまでグリグリに耐えなくてもいいんだよ。
観葉植物の台の下にもぐってゆっくり休めばいいじゃないか。何故そこまでお前はむかってくるんだ。アスカ。

ジョー立つな。もう立つんじゃねー。
ジョーー!


ご主人の命令だから、これにはきっと何か大切な意味があるだろう。そう思って頑張って来た。

でも、そうじゃなかった。からかっているだけらしい。
きっとあとでソーラさんと手を叩きながら、

キャハハハハー、

と笑っているのかも知れない。
そうか、そうなのか。ご主人め。

いじるならいじって来ーい。

どんどんやって来ーい。


まあ、そう来られると参るなー。

何度も、何度も、グリグリに耐えるべく、アスカは立ち向かって来る。

参りました。
ご主人であるところのマッキーはついに根をあげるのだったーー。


えっ!?


ところでー、
そういえばこれは長生きの話でした。

はたして、ほんとうにこのグリグリが長生きに効果があったかは定かではありません。

ソーラ グリグリやってあげようか。

ふたりともバッカじゃないのー。

ソーラお嬢様は、しらーとみてました




2008年3月9日(日)

ソーラとアスカ(16) 「ES細胞と遺伝子」

ソーラとアスカ(16)
「ES細胞と遺伝子」
ES細胞の研究は、30年前の発見以来目覚しい進歩を遂げてきたし、今なお、その研究は遺伝子の研究とあいまって加速度をましている。
遺伝情報をいかに与えてゆくか、それによってこの万能細胞は、それこそ、どんな臓器にもなってゆく。

 しかし、一歩間違えると素晴らし臓器に変身したと思われた組織は、あっという間に、全く別のものに姿を変えてしまうこともあった。いわゆる癌化ということであった。

 ES細胞から作られた心臓や腎臓が、突然癌化する。
。拒絶反応から解き放たれたと思われた移植医療。そこにあらたな壁が立ちはだかる。


 上手くいっていたのである。すべてがーー。

しかし、癌化はあるとき突然始まり、せっかく取り替えた心臓や腎臓がぜんぜん使えなくなってしまうので困るのだった。

まあ、とりあえず人工透析は、古い医療の方式だが、まだ役に立つし、またまた今日では、簡易な人工心臓もだいぶコンパクトになった。
だから命に別状はないけれど、透析は長い時間チューブに繋がれていなければならないし、人工心臓は走れないし、人工心臓を付けて歩くのもカッコ悪い。


やっぱり遺伝子いじるのってさー、無理でねーか。あーもう限界。頭ったまこんがらがって来たべーな。おらーもういやんだー。こんたら研究おらーもうやんめた。

世界で指折り、日本が誇る天才化学者のひとりはそんなことばを残して田舎に隠居してしまった。

ショボ博士、そんなこと言わないで、人類のため、いやぼくたちのために、研究に一日も早く戻ってきてください。

ショボ博士、自信を取り戻してほしい。

ショボ博士って、みなさん知らないでしょうね。





2008年3月16日(日)

ソーラとアスカ(17) 「バベルの塔」

やっぱり遺伝子いじるのってさー、無理でねーか。あーもう限界。頭ったまこんがらがって来たべーな。おらーもういやんだー。こんたら研究おらーもうやんめた。

天才化学者のひとりショボ博士はそんなことばを残して田舎に隠居してしまった。
ショボ博士って、みなさん知らないでしょうね。


 ES細胞から作った臓器は調子がいいときはまったくもってご機嫌だった。

でも、なぜかときどき癌化することがある。

あるひとは、ES細胞からの臓器培養技術が産まれた当初につくられた腎臓を使っているけれどまったくご機嫌にここ10年ずっと順調だった。
あるひとはもう3度も交換したひともある。

この問題を解決しないかぎりは、100%安心して培養臓器を使えない。

まあ、75%くらい大丈夫なんだけどね。
それにー、もし4分の1の確率でハズレくじを引いてしまっても、また取り替えてもらえばいいんだし、まあなんとかなる。

とは言え、元気だった臓器があっと言う間に癌化してしまうのには驚くばかり。
手の付けようもない。

培養臓器だけが癌化するのだ。オリジナルの体の臓器に転移することはない。
不思議としか言いようもない。
まあ転移しないから、ありがたいとも言えるだろうけれどー。

だけどー、
変なもので、そのことが返って、培養臓器は、ある意味、ホントウの自分のからだではないのだなー、とつくづくと思い知らされることになる。
いい知れぬ寂しさを抱かせる。

ホントウの自分のからだ、自分の心臓はもう失われてしまった。この心臓はまがい物なんだ。

自分はこうして当たり前の顔をして、このまがい物の心臓や腎臓のおかげで、元気に生きている。

いやはたして自分は自ら生きていると言えるだろうか。
もしかしたら生かされているだけなのかも知れない。

確に臓器は培養で出来るから、昔とはちがって、他の誰かの死を待ったことも望んだこともないけれどー。

この心臓も腎臓も、こんな風にあっと言う間に癌化して姿を変えてしまうナガイモノ。

ここまでして、人間は生きなくてはならないのか。生きているべきなのか。


昔、人は、神の住む空の高みに向かって、高い塔を築いたという。しかし、それは神の怒りに触れて、いかずちに打たれ一夜の元に打ち砕かれた。

 後の歴史の中で、人類は、もう高い塔を築こうとはしなかった。

しかし、
現代の科学は、高層ビルの街並みを築いた。
その昔人類が築こうとしたバベルの塔





2008年3月23日(日)

ソーラとアスカ(18) 
「古いあたま」

昔は、人は神の住むと言う空の高みに向かって高い塔をを築いたと言う。

多くの年月と犠牲をはらってその巨大な塔は作られていった。
しかし、その塔は神の怒りに触れて雷によって一夜のうちに打ち砕かれたのだと言う。

その後の歴史の中で人類は二度とそのような塔を築こうとはしなかった。
バベルの塔の言い伝え。

しかし、人類は、もうずいぶん昔に、バベルの塔より高いたてものを作れるようになったし、いまでは軽々と100階を越える高層ビルを無数に並べ立てている。

神の住むと言う空の高みにも、今では当たり前のように行き来している。

月旅行は人気スポット。まだお金は高いけどー。


いつの間にか、人類は、神を恐れなくなった。

しかし…。
遺伝子は進化の源である。
人間が果たして触れてよい場所なのか。それは、あくまで神の領域。聖地として立ち入ってはいけなかったのではないか。

あるいは、
いつしか、バベルの塔を知らず知らずのうちに超えてしまった人類は、
また、同じように、いつしか遺伝子と言う宇宙の中にある神をも、知らず知らずのうちに、超えて行ってしまうのだろうか。


たとえば、
交通手段について、
大昔のひとたちは、てくてくあるいてたり、馬に乗ったりしていた。

それが、文明の進歩によって蒸気機関車になり、ガソリンのエンジンになり、電気のモーターになる。飛行機も発明されて空を飛んで移動する。

また、リニアモーターはまるで滑るようにまるで飛ぶように。

最近では、月への旅行者も増えた。
スペースシャトルタイプが一般的だけど。一度事故ったことがあり、月旅行の夢も興さめしてしまった。

飛行機の事故も昔は大変なものだったが、宇宙旅行のノウハウが大気圏の行き来も当たり前になっている。

やみくもに突っ込むから燃える。ふわりと行けばいいのである。

当たり前のことに気付いたのだった。

飛行機が落ちたくらいで人が死んでいたのでは、宇宙旅行の今の時代、話にもならない。

科学技術の進歩が新しい技術をもたらすとき、いくつかの盲点があり、いくつかの大事故が起こることがある。

そのことで、必ず古い時代の人が取り残される。

昔に、僕は飛行機はのらないんだー、と言うひとがいた。
昔に、紙に書かないと文書が書けないひともいた。

大昔、ひとは神を恐れ迷信に囚われた。
いつの時代もー。

しかし、いつの時代も若者たちは違っていた。

新しい技術、新



2008年3月30日(日)

ソーラとアスカ(19) 
「バベルの塔を越えて」

昔ひとはバベルの塔を築き、それは神の怒りにふれて打ち砕かれた。ひとは神の立ち向かってはいけないし、神の領域に踏み入れてもいけない。

科学技術の進歩が新しい技術をもたらすとき、いくつかの盲点があり、いくつかの大事故が起こることがある。

そのことで、必ず古い時代の人が取り残される。

昔、僕は飛行機はのらないんだー、と言うひとがいた。
昔に、紙に書かないと文書が書けないひともいた。電子機器に保存しても信じることが出来ないー。

大昔、ひとは神を恐れ迷信に囚われた。

しかし、いつの時代も若者たちは違っていた。

新しい技術、新しい時代になんの違和感もなくなじみ使いこなす。新しい感性の上に両足でバランスをとってしっかり立つことが出来る。

深い暗闇の上にポッカリと浮かぶように思え科学技術に支えられた文明の上に何の疑いなく、何の不安もなく、軽々と立つことが出来る。そこから先に進んで行くことが出来る。

新しいバイオの技術、遺伝子の技術で、培養心臓、培養腎臓が作られてる今。

確に、それらはまだ完全なものではなくて不安定だ。ときどき癌化してしまうことがある。

でもいつか近い将来2050年頃には、その問題も解決されていることだろう。

まあ遺伝子は、進化の源。やはり人類にとっては神の領域といっても過言ではない。だからきっと、この問題はもしかするともっと時間がかかるかも知れない。 2100年くらいまでかかるかもね。

遺伝子の研究は、なにしろ、宇宙の研究と同じ。今の人類の科学技術の到達点からみれば、無限のひろがりのようだ。
新しい発見の度に、また新しい疑問が産まれる。

疑問をもつことが出来ると言うことは、考えてみれば何てすばらしいことだろう。疑問問さえもつことが出来ない状態にあったことに比べたらー。

ひとは、この培養臓器の技術を当たり前のように使いこなして、当たり前のようにきっと近い未来150歳でも、200歳でも生きるようになるだろう。

だって生きてるってやっぱりすばらしいことだし、死んでしまうのは、やっぱりつまらない。

新しい技術でもなんでも、生きられるならそれに越たことない。

ひとの人生は50年ー。昔からみれば、2038年現在の98歳の平均寿命も考えられないことかもー。仙人って感じかも。

2100年頃には、150歳、2200年頃には180歳を越える長寿のひとも現れる。まるで神のようだ。




2008年4月6日(日)

ソーラとアスカ(20)
「遺伝子研究への挑戦」

バベルの塔の言い伝え、神へのおそれもいつかは越えて、ひとは、新しい時代の科学の恩恵の上に両足でしっかり立ち、そして、次の時代を目指してゆく。

30年前に発見されたES細胞、万能細胞の技術は、今では医学のあらゆる分野に応用が広がっている。
培養心臓、培養腎臓もつくられている。 ときどき癌化するのでまだ完全ではない。
この培養臓器を完全にコントロールするためには、もっと進んだ遺伝子の研究が必要だ。

また、癌は、今では、昔ほど恐れられる病気ではもない。が、これをさらに完全にコントロールするためにもやはり、遺伝子の研究を進めなければならない。

別に新しい生命体を完成させようとだいそれたことをしようとしているわけではけしてない。

人類が生きるために必要だなだけなのである。

宇宙へひとは、向かわなければならない。そこで人類は、種の存亡をかけて生き抜いて行くことになる。誇大妄想ではなく、いつしかの未来にきっとそのときが訪れる。

ひとは、遺伝子と言う広大なもうひとつの宇宙に向かって恐れずに立ち向かって行くだろう。

だってー、
生きているのはやはりすばらしいことだし、死んでしまうことはやっぱりつまらない。

21世紀の科学の進歩、その恩恵として2100年には150歳の長寿のひとが現れる。そして、2200には180歳のひとも現れる。人生50年と言われた19世紀、20世紀からみるとまるで神のようだ。

そして、その日は、そう遠くない未来にきっと訪れることだろう。

人類にはじめての200歳の誕生日を迎える個体が出現する日がー。2300年代のある日ー。


いい忘れたんだけれどー、いやもう一度言っておくがー。

癌は昔は怖い病気だった。30年前のことだからまだ覚えている人も多いことだろう。今ではまるでうそのように信じられないことだ。

人類はこのように病を克服してきた。。

癌はいまでは、遺伝子系のみだれとして位置付けられている。
昔はずいぶんと恐れられたものだった。
今では、恐れるひともいない。

いいかえればー、
癌なんか
へでもないんだ。


おれさー、先週、癌になっちゃってさー。遺伝子治療してるんだけどー。なかなか時間なくてね。
土日はちょっと予定がー。ここつぶしたくないしね。

そうそう、そうだ。

主任すいません。

今日は残業なしで帰ります。ちょっと遺伝子治療予約しちゃてるんでー。




2008年4月13日(日)

ソーラとアスカ(21) 
「癌みてもらうから早退ね」

いい忘れたんだけれどー、いやもう一度言っておくがー。

癌は昔は怖い病気だった。30年くらい前のことだからきっと覚えているひとも多いと思う。
でも今では、まるでうそのように信じられないことだ。

癌はいまでは、遺伝子系のみだれとして位置付けられている。

昔はずいぶんと恐れられたものだった。
今では、恐れるひともいない。

言い換えるならー、

癌なんてー、

へでもないんだ。


マッキーさん。
おれさー、先週、癌になっちゃってさー。遺伝子治療してるんだけどー。なかなか時間なくてね。

土日はちょっと
ソーラさんとデートの予定がはいっちゃってるしー。

ここはつぶしたくないしー。って言うかここポイントでしょう。

あっと、

そうそう、

そうだ!

アスカ主任、
主任すいません。

今日はー
残業なしでー
帰りまーーす。

ちょっと遺伝子治療予約しちゃてるんで。
帰っていいすっかー。
帰りますよー。
すいませーん。

だって、ほら、
先週さー、癌になっちゃってー。

お腹いたいしー、
なんかからだだるいっす。


ショボくん、
わるいね。
おさき失礼します。
じゃあ
じゃあ
じゃあーねー。

わるいっすね。
すいませんね。


ーーー
ふ、ふ、ふ
しめしめ、
へへへへへー。


アスカ主任はボヤく。

あいつー、
たかが癌くらいで、
そんなんで普通残業なサボるかなー。

考えらんないなー。

やっぱりグラサンじい課長に報告しとくかなー。

よしゃー、
グラサンじいにに報告書書いとこ。


勤務態度がワルイ。
やる気がナイ。
空気がヨメナイ。

よしついでに
もう一丁

業務命令にシタガワナイ。

ーーっと。

ホホホホホ。


同僚のショボくんもアスカ主任に相づちを打つ。

なんかズルけてますよね。やる気あるんですかね、彼。


まあ、30年前からみれば、まだまだ研究途上だったり、不十分さもあり、またそのことで課題や疑問も山積するとは言え、遺伝子治療によっていろいろな病を克服していると言えるかもしれない。

例えばまあ癌もそうだが、リウマチやその他の抗源病、糖尿病とかぜんぜんOK。
筋肉ジストロフィーとか筋肉が衰えてしまう病気も今はへでもない。昔はこんな病気で車椅子だったなんて。考えられない。





2008年4月20日(日)

ソーラとアスカ(22) 
「ひよこのかくれんぼ」

たかが癌くらいで残業サボるなんてー。彼、マッキーさんやる気あるんですかね。なんかニヤニヤして帰ってゆきましたよー。ーーったく。

同僚のショボさんは主任のアスカさんに相槌を打つのだった。

まあ、30年前からみれば、まだまだ研究途上だったり、不十分さもあり、課題や疑問も山積するとは言え、遺伝子治療によっていろいろな病が克服されたと言える。

癌もそう、リウマチや抗源病ね、糖尿病とかぜんぜんOK。一発で治る。
筋ジストロフィーとか筋肉が衰えてしまう病気も今はへでもない。昔はこんなんで車椅子生活だったなんてー。みんなピンビンはしり回っている。


あとー、
その昔、結核と言う病気がおそれられた。
結核ってみんなもう知らないでしょうね。
100年以上も昔のこと。猛威をふるった。今では、風邪の方がつらいくらいだ。

それでー、
昔は、結核になると、命が助からない。
ちょい前の癌より怖かった。

それで、
かわいそうだから、病気のことは本人には話さない。
本当のことを話さないで隠しておくわけ。
本当のことを知ったら、ショックで精神的にまいってしまうだろうから、それを避けた。
思い遣りの気持からの発想だった。確かにそう言う側面もある。

結核の場合は、細菌の感染の広がりの危険もあった。周囲の人も同じ病に巻き込んでしまう。
そのために、家族からも離れて、寂しい山里に隔離された。サナトリウム。

訳けも解からずー。


美人薄命ー、まさしくそんな令嬢ソーラお嬢様は、今、ひとりつぶやくー。

もしかしたら、わたしって結核かもー。

だってー、

この様子をみれば分からないはずもないわ。

でも、お医者さんに聞けばー、

君は、結核なんかじゃないって、

言われる。

でもー。

たぶん、それは、ほんとうのことじゃない。

わたしが知ってるとわかればー、
お父様も、お母様も、そしてみんなもー、私にどう話をしたらいいのか分からなくなってしまうんだわ。きっとー。そう。

だから、
私、知らないふりをしていればいいんだわ。
そう、それが一番いいのだわ。
あー、可愛そうな私、こんなに美しいと言うのにー。
ヨヨヨヨヨヨー。


昔は、そんなこんなで病気になったこと以上に気苦労も多くてー。


そこにはきっと、病気を思いやると同時に、感染にたいする恐れと差別がある。





2008年4月27日(日)

ソーラとアスカ(23) 
「リウマチもね」

美人薄命ー、
ソーラお嬢様は、今ひとり悲しみにくれるのだった。

だから、
私、知らないふりをしていればいいのだわ。

そう、
それが一番いいのだわーー。

あー、可愛そうな私ー。
こんなに美しいと言うのにー。

ヨヨヨヨヨヨー。


昔は、そんなこんなで病気になったこともさることながら、それ以上に気苦労も多くてー。

昔、結核は、病気のことを本人には告知しなかった。そこにはきっと、病人をいたわり思いやること以外に、感染者にたいする差別がある。
助けたいひとをむしろ見捨てなければならない。
だけど、感染がひろがってはならない。残された家族をまもらなければならない。

ペニシリンが
発見されてからは、人類はこの結核と言う病から解放された。
この心の痛みから解き放された。
ひとつの優しい心が現実のものとなった瞬間だった。



また、話はとぶがー。
リウマチと言う病気。今では遺伝子治療で完全に治る。もう一発でOK。
30年ほど前にもそれほど恐れられた病気でもないと思うがー。確かー。

ところが、
この、それほど恐ろしくもないように思われるリウマチについても、やはり病気のことを告知されなかった時代があったらしい。
確かに、痛みはあるし、関節も壊れてゆく。
免疫の機能が何を間違えたのか関節滑膜に作用して、細菌などと同じように異物として認識されて攻撃されてしまう。いや攻撃してしまうと言うかー。
自分の体を守るための免疫機能が自らの体の一部をやっつけてしまう。
おいおい味方だよ。味方だってー。

関節滑膜が一番多いのは、関節が一番多い場所だから、体の中では指だ。こんなに関節が密集している場所もない。
リウマチになるとまず指の変形が進む。

まむし指出来るかな。
子供頃この指が出来る子供は少なかった。だから得意になって友達にも見せたものだった。
リウマチの指の変形はこんな感じ。まむし指とかスワンネックとか洒落た名前がついていてもうれしくない。

リウマチもその昔は本人に告知されなかった時代がある。
と言ってもねー。


患者ショボ

医者様(せんせい)、
指がこんなんなってますけどー、

ぼくって、もしかしたら、リウマチー。
指こんなんなってますけどー。


医者様マッキー

いっ、いっ、いやいやー。
けして、君は、リウマチ何かじゃないよー。大丈夫。





2008年5月4日(日)

ソーラとアスカ(24) 
「指の変形スワンネック」

リウマチの指の変形はこんな感じ。まむし指とかスワンネックとか洒落た名前がついていてもうれしくない。

リウマチもその昔は本人に告知されなかった時代がある。

と言ってもー、


患者ショボさん

「医者様(せんせい)、
指がこんなんなってますけどー、

ぼくって、もしかしたら、リウマチー。
指こんなんなってますけど。」

医者様マッキーさん
「 いっ、いっ、いやいやー。
けして、君はリウマチ何かじゃないよ。大丈夫。」


「 医者様(せんせい)指こんなんなってますけどー。
何か、こわい感じしませんか。」


「 いっ、いっ、いやいやー。
じぇんじぇーん、こわくなんかないよー。大丈夫。大丈夫。」


「 医者様(せんせい)リウマチじゃなくてぼくぁー本当によかったんだけれどー、
リウマチってーひとに伝染(うつ)るんですかー。
みんな指こんなんなっちゃいますかー。
リウマチってー、やっぱりー、こわいんじゃないですかー。」


「 いっ、いっ、いやいや。
そんなことは、まったくないよ。
こわくないよーん。
伝染(うつ)たりしないよーん。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。」


「 医者様(せんせい)、
でもー、指こんなんなってますけど。
ぼくぁー、なおりますかー。リウマチじゃないけど、こんなんなってますけど。」


「 そうだねー。
やっぱりー
そうだねー、
まあー、
山の中にこもって治療に専念しないとね。
そうだねー、
うーん、
そうだねー、
まーあ、
4、5年かなっ♪」

「 えーーー、
4、5年ですかー。
医者様(せんせい)
4、5年って長くないですかー。
まかりませんか。」


「 いっ、いっ、いっやー、
そんなことは、じぇんじぇんないよーん。
4、5年なんてあっと言う間に過ぎちゃうよ。
もう、まばたきする間だよ。
過ぎてしまえばそんなものだよ。
大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫。」

せんせい
ほんとうに、
あっと言う間に過ぎますかー。
治るんならがんばってみようかな。
でもなー、やっぱり山の中かー。なんかさびしいなー。
でも、ぼくぁー、がんばるぞー。
リウマチじゃなくて本当によかったなー。
せんせいー。本当にありがとうございました。」


「ホッ。」


見た目悪いとそんかもー。


今ではリウマチは抗源病で感染しないことは当たり前。指の変形だっていろいろ補うための道具もあるし日常生活の工夫もある。




2008年5月11日(日)

ソーラとアスカ(25) 
「本当のことが知りたい」

医者様マッキー
「 そうだねー。
やっぱりー、まあー、
山の中にこもって治療に専念しないとね。
そうだねー、
うーん、まーあ、
4、5年かなっ♪」

患者さんショボ
「 えーーー、
4、5年ですかー。
せんせい、
4、5年ってー、
長くないですかー。」

「 いっ、いっ、いっやー、
じぇんじぇん、
そんなことはないよーん。
4、5年なんて、
あっと言う間に過ぎちゃうよ。
もう、まばたきする間だよ。
過ぎてしまえばそんなものだよ。
大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫。」

「 せんせい。
ぼくぁーがんばります。
リウマチじゃなくて
本当によかったなー。
ありがとうございました。
でもなー。
やっぱりー、
山の中は、なんかさびしいなー。」


「 ホッ。」

リウマチって、指。
見た目悪いとそんかもー。なんか勘違いされてる。

今ではリウマチは抗源病で感染しないことは当たり前。
指の変形だっていろいろ補うための道具もあるし工夫もある。

リウマチの病気でご苦労されている方には大変失礼なブラックな寸劇が先週より続いております。
すいません。でもリウマチって自分が一番分かりますよね。
隠しようもない気がするのですがー。
それが昔むかしは告知されなかった訳。

癌についてもチョイ昔は恐れられた病気なので、やはり病気の本人には本当のことは告知されなかった。

結核だって、リウマチだって、癌だって、自分のからだがいつもと違うのは、自分が一番分かるし、隠しておけるはずもない。



本当の事が知りたい。
なんでも自分に関わることはー。
自分の人生なのだから。
きちんと自分のことは、自分できめたい。
たとえどんなにきびしい選択岐であってもー。

そして、避けないでほしい。
遠ざけないでほしい。
いつもと変わらずに接してほしい。
いつもと変わらずそばにいてほしい。

癌の本人への告知は、治療の効果の面、一緒に治療に参加して、選択してゆく時代の流からも、きちんと告知される方向になった。

また、癌はだんだん不治の病ではなくなりつつあった。

作家など強靭な精神力の持ち主は、癌を告知されて余命何年月と知ってから、その時間をフルに使ってすばらしい作品を残し、多くの人の人生を励ましたものした。



最近、
マッキーさんはなんとなく気になることがあるー。

アスカ主任が妙にやさしい。
何かがちがうー。




2008年5月18日(日)

ソーラとアスカ(26) 
「何かがちがうー。」

本当の事が知りたい。
なんでも自分に関わることはー。自分の人生なのだから。
たとえどんなにきびしい選択岐であってもー。

癌の本人への告知に関しては、議論がなされ、治療の効果の面、一緒に治療に参加して、選択してゆく時代の流からも、きちんと告知される方向になった。

また癌はだんだん不治の病ではなくなりつつあった。



最近、
マッキーさんはなんとなく気になることがあるー。

アスカ主任が妙にやさしい。何かがちがうー。

何でだろう。

だいたい男性にとってまず最も学ばなければならない第一のことは、機嫌の悪い女のひとには、理論を展開してはならないーと言うことだ。

機嫌が悪いのである。
理論的な問題ではない。疲れてもいるだろうし、よくわからないがろいろ原因もあるだろう。
まず、そこに気付くことが大切だった。

今、彼女は機嫌が悪い。
さりげなく受け答えはしていて、表面的には変わりがないかも知れないが、確に彼女は今機嫌が悪い。

このことに気付くのか、気付かないのか、それが明暗を分けることになる。

しかし、わたくしことマッキー、人生において、それに気付くのにあまりに時間がかかり過ぎたのだった。

気が付いただけでもよかったーと言うしかない。

周りを見回せば、いまだに気付かずに、無防備に生きている男性があるのを見れば不思議と言うしかない。一生気付かずに終わることだろう。

アスカ主任がやさしい。

どうしたんだろうー。


ソーラさんもちょっと話しかけてみようかなと思うが、謎のほほえみをたたえて足早に通り過ぎてゆく。

「 あのさー。」


「 ふふふっ。」


ひまわりお嬢もマッキーさんの顔を見ると、ちょっと視線が止まって、

「 あっ」

とか言って足早ににげてゆく。

おっ、とうもろこし君ならちょっと世間ばなしでも。なー、男同士だもんなー。


「 あれっ、あっ。
いいお天気ですね。」

何か、顔みると一瞬視線がとまったが、何か用事をおもいだしたのか、二言三言ことばを交して、足早に立ち去る。

なんかみんな忙しいいのかな。

だいたい人に話しかけて反応が悪いときは、きっと、忙しいか、体調が悪いか、
話す気分にはならないのだろう。いろいろ悩みなどを抱えているのだろう。

自分になにか原因があるかもとはあまり考えないのである。

いちいち気にしていても仕方もない。



2008年5月20日(火)


ソーラとアスカ(27) 
「ソーラ&アスカ株式会社」

だいたい人に話しかけて反応が悪いときは、きっと、忙しいか、話す気分にはならないのだろう。きっとみなさんそれぞれにいろいろ悩みも抱えていることだろう。

自分になにか原因があるのではないかとはあまり考えないのである。
いちいち気にしていても長い人生つまらないし、仕方もないことだ。


でもなー、なんか顔に着いてるかな。

ご飯つぶでも口許にー。弁当箱下げてー。
あまりに古いフレーズだ。昭和レトロなフレーズだ。


もしかしたらー、
この前、残業サボってアスカ主任とショボ先輩を置き去りにして帰ったけとー。

ま、さ、か、
あんなつまらないことを気にしている訳でもないだろうに。


このソーラ&アスカ株式会社は、ミニダックス関係のグッズを扱う会社だ。

ミニダックスにやさしい首輪、ミニダックスの人権を尊重した首輪やハーネスが自慢の商品だ。

その他ミニダックスのスペシャルゴージャスデリーシャスグルメなエサとか、それはそれは美しいブランドものの水のみとかも売れ筋である。
創業以来順調に事業展開して業績も伸びている。

ここ湖のほとりミニダックス町支店は個性的なメンバーがいるし、なかなか営業成績もよい。

うつくしい自然に恵まれてなおかつアクセスもいのである。

ソーラ&アスカ株式会社の本社は名古屋にある。


アスカ主任とショボ先輩に声を掛けようと思ったらー、何やら話中だ。


「それで梨もき山支店の方がーー。あっー。」

マッキーさんの顔みると話がピタリとやんだ。

「 梨もぎ山支店?」
なんかいつもアスカ主任とショボ先輩はウマが合うのか、いつも何やらこそこそ話してるなー。

何をそんなに話すことがあるんだろうか。


梨もぎ山ミニダックス村支店。

そう、ソーラ&アスカ株式会社の支店は
また、梨もぎ山のミニダックス村にもある。
こちらは、ちょっと田舎で社員もすくない。
はるがさ支店長が日夜商品開発に明け暮れている。
アクセスも不便。
何にもないさびしい村の支店だ。


これまで毎日、このうつくしい湖の眺めをあたり前のようにみつつ、早、永の年月をあんのんと過ごしてしまったが、過ぎてしまえば時間と言うのはあっと言う間である。

若い頃は、あんな風に年をとると気持ちもその年なりの頭の中身になるだろう。若い自分とはずいぶん離れた別の存在、はるかに遠い存在だと思っていたものだが。



2008年5月21日(水)

ソーラとアスカ(28) 
「梨もぎ山支店」

梨もぎ山ミニダックス村支店。

そう、ソーラ&アスカ株式会社の支店は
また、梨もぎ山のミニダックス村にもある。
こちらは、ど田舎で社員もすくない。

アクセスも不便。
何にもないさびしい村の支店だ。


これまで毎日、このうつくしい湖の眺めをあたり前のようにみつつ、早、永の年月をあんのんと過ごしてしまった。

いざ自分が年をとってみると、ぜんぜん中身が変わっている訳でもなかった。
当たり前と言えば当たり前。不思議と言えば不思議な気もする。

当たり前のように永の年月ここで過ごしてしまったが、
しかしながら、わたくしことマッキー、営業成績もぱっとしないし、優秀な人材がどんどん現れるのだった。

物事には何でも、はじまりがあり、そして終わりがある。そんな当たり前のことを誰しもいつの間にか忘れてしまうものなのかも知れない。


でもなー、梨もぎ山かー。

はるがさ支店長はちょっとユニークなひとだ。

実は、昔からよく知っていたりする。

まあ、それはありがたいがー。

「 梨もぎ山かー。」 梨もぎ山ねー。
あやー、まーねー。」

なぜか、ちょいと頭によぎって離れないのだった。



本当の事が知りたい。
なんでも自分に関わることはー。
自分の人生なのだから。
たとえどんなにきびしい選択岐であってもー。

癌はきちんと告知される方向になった。
また癌はだんだん不治の病ではなくなりつつあった。


最近、
マッキーさんはなんとなく気になることが……。



いやいや、このフレーズではなくてー。


しかし、ソーラさんも、ひまわりお嬢もとうもろこし君も何か知ってるみたいな気がする。

アスカ主任とショボ先輩は何やら内緒のお話に余念がない。


「 まあ、いいか。

きっと思い過ごしだろう。

るるるんるん♪」


そこに
アスカ主任がさりげないにこやかな笑顔でやって来ました。


「 マッキーさん、グラサンじい支店長が呼んでるわよ。
お話があるそうよ。」


「 えーーーっ。っっっ。 」


グラサンじい支店長。

ここ、湖のほとりミニダックス町支店を長年に渡り仕切ってきたやりでユニークな人だ。

一体、話ってなんだろう。



2008年5月22日(木)

ソーラとアスカ(29) 「グラサンじいとの面接」

まあ、いいか。

きっと思い過ごしだろう。

るるーるんるん♪


アスカ主任がさりげないにこやかな表情でーやって来ました。

「 マッキーさん、グラサンじい支店長が呼んでるわよ。
お話があるそうよ。」


「 えーーーっ。っっっ。」


お話って一体なんだろうかー。



「おうー、なんだ、おめーさんかい。

なーおい、
おめーさんなかなか頑張ってくれちゃってるみてーだなー。

まーいいってことよ。

何事もなー、まあ、コミニケーションがな、でーじだっつーこった。

まあー、そこんとこだな。おめーさん。わかんだろ。そこんとこよ。

ヤボ言うなって、なー。

よーし、
バッチグーってなもんでー。」

「 はい、ごもっともです。」

「 ところでーー、
話はちょいとかわんだけんどなーおい。

つかぬことをお聞きしやすが。

おめーさん
昔、祭りのときに着ぐるみ着て相撲とったことがーなかったかい。
おめーさんじゃなかったかい。

た、し、か。」(*_*)

「 いえいえ、わたくしには、覚えがありません。」

「 そうかー。
いやー、なんとなくな。 そのー、おめえじゃーねーかってな、そんな気がしてな。何となくなんだけんどな。」

「 いやー、こうしてなげー間、支店まかされてりゃ、そりゃーいろいろあらーな。
おめーさんもなげーもんな。

あのときのこたーおりゃーこれっぽっちも恨みにゃー思っちゃーいねーんだぜ。
これっぽっちも、
恨みに思ってなんか、
あっと、
い、ねー、よーーっと(歌舞伎のミエ切り風です)(+_+)

「……」(--;)

ここであのことが発覚すれば、梨もぎ山があぶない。
おー、梨もぎ山。


「 おめーさんじゃねーかい。
おうー、そうかいそうかい。
いやー悪かったな。
つまんねーことを聞いちまったな。」

まだ腑に落ちない感じのグラサンじい支店長なのだった。


もうかなり昔のことになる。
とあるお祭りで、グランじいとショボさんが悪ふざけをしてソーラさんとアスカさんをかまったことがあった。

それでちょうど着ぐるみを着ていたのでどうせ誰だかわからないだろうと思って、ついついグラサンじいさんを思いきり蹴ってしまった。
そのあと逃げて着ぐるみを脱ぎ捨て、今までトボケ通して来た。
相撲などと嘘ぶいているけど、なまぬるくない。

ばれたら、梨もぎ山があぶない。



2008年5月23日(金)

ソーラとアスカ(30) 
「おーサプライズ」

もうかなり昔のことになる。
とあるお祭りで、グランじいとショボさんが悪ふざけをしてソーラさんとアスカさんをかまったことがあった。

それでちょうど着ぐるみを着ていたのでどうせ誰だかわからないだろうと思って、ついついグラサンじいを思いきり蹴ってしまった。

そのあと逃げて着ぐるみを脱ぎ捨て、今までとぼけ通して来た。

相撲などと嘘ぶいているが、相撲などと言うほどなまぬるくないのだった。

ばれたら、
梨もぎ山があぶない。

※詳しくはソーラとアスカののん気な一日第二部「着ぐるみ大作戦」をみてください。


「 いえ、話がじゃーんじゃんわっかりませぇん。」

「 ほーそうかい、そうかい。」

「……」

「……」


「 ところでおめーさん、そういやー、
梨もぎ山はいいところだと思わねーかい。なー、おめーさん(+_+)」

「 へっ、へっ、なんで、なんでー、急にそんな、そんなー、めっそうもございません(^^;)」

「 ホントのことをはかねーと、ためになんねーぞ、ってこったー。」


「 へっ、なんのことやら。まったく思い当たりません。」(ドキッ。)

ここがでーじな、じゃなくて、大事ところだ。

グラサンじいの大胆に一歩踏み込んだ手慣れたカマかけだ。

ばれたら、梨もぎ山があぶない。


「カエルの着ぐるみのことなんて、全然知りません。」


「……」

「あっ、」


「 いっ、いっ、今、
おめーさんケエルがどうのって言うわなかったかい。最近耳が遠くなっちまってな。」

うーん、
しまった。
カエルの着ぐるみのことは話に出てなかったんだ。まずいなー。しまった。


「いえいえ、そろそろカエルってもよろしいですかってお聞きしただけです」

「 いっ、今、たしかケエル、って言ったような気がしたがなー。おい。
おめーさん言わなかったかい。聞き違いかいかない。
何せなー、しばらく前からよー、ケエルって聞いただけで、なーんだか、悔しいような、腹が立つような、切ねーような、不思議な気持ちになるんでー。
なんでかねー。
おめーさんわかんねーかい。 なんでだろうなー。」

「もしかしたらー、
それはー、恋かも知れませんね。
あっ、いえいえ冗談ですって(((^^;)」


攻防のやりとりは続いた。

着ぐるみの機能性についてーとか、着ぐるみ開発におけるシッポの加工の注意点など踏み込んだ話題もでた。



2008年5月25日(日)

「5月はじめころ。」


久々に登場。
五月はじめころ。

やっとこっち向いてくれた。

ソーラとアスカ(31) 
「ついつい口がすべる」

梨もぎ山をめぐる攻防のやりとりは続いた。

着ぐるみの機能性についてーとか、着ぐるみ開発におけるシッポの加工の注意点など踏み込んだ話題もでた。

梨もぎ山のはるがさ支店長兼研究員がミニダックスの格闘用着ぐるみを開発中で、そうとうしっぽの動きの自由度にこだわっているらしい。


まあ、あの日のことに際どく繋がる話ばかり。

つい口をすべらせてしまいそう。

まあ、なんとか逃げ切るかたちになったが、グラサンじいは十分な確信を持ったようだった。

かといって表情は怖くもなく、むしろ懐かしげで、満足げでさえあった。


「おめえさん、ミニダックスって言うのはなー、でーじなのは、ひねくれちゃーいけねえってこった。
なんでもなーガツンとな行ってみなきゃな。わかんねーだろうー。
ミニダックスってのはなー、 まあそんなもんだー。
ガツンといけよ。カツンとなー。気合い入れていけよな。おめーさんよー。」

いつもの調子でハッパをかけてくれるのだった。


面接が終わって部屋出てくると、もう夕方だったと気付く。
ずいぶんグラサンじいと話し込んでしまったようだ。


ホッとして、ぼんやりとデスクに戻る。

バーンとくす玉が割れる。
ひらひら頭に紙吹雪がふりかかる。

マッキーさん
勤続30年おめでとうございます。

ソーラ&アスカ株式会社湖のほとりミニダックス町支店。
小さな支店である。 いたずら好きがそろっているので、このくらいのことはよくあるのである。

もしかするとグラサンじいもいたずら組に一枚かんでいるのかも知れない。

とは言え、ドッキリサプライズを肴にチョイと職場の交流がてらビールでも一杯飲もうよと言うわけだ。


梨もき山支店から、久しぶりにはるがさ支店長も来ている。
アスカ主任と話がはずんでいるようだ。
このふたりは仲がいいのか悪いのか、見当がつかない。
ただ、仲がよけりゃそれでいいかって言うとそうでもないみたい。そこにはよるとさわるとパワフルエネルギー。


ハラハラ、うまいサカナになってしまったが。まあー、なかなかにいい一日でした。

でもなー、
本当のことは、早く知らせてくれー。知らないのは自分ひとりだけ。


ながながとー横道にそれました。

おしまい。


次回は
話かわって2208年3月25日。200年後。

くす玉がパーンと割れてー。ついにその日がやって来た。






またね〜(^_^)







ソーラ&アスカ第三部:SF未来編 ー index ー